2月に入って春のような暖かい日が続いていて、ゆったりと過ごす週末がありがたい。
初夏のような沖縄には、わが阪神タイガースが春季キャンプにはいっていて、
その一部始終をライブ放送で届けてくれるTVチャンネルがあり、これまたありがたい。
その一部始終をライブ放送で届けてくれるTVチャンネルがあり、これまたありがたい。
今年は南吉の生誕100年に当たるようで、えっまだ100年かと思っていたら、
没後70年と知り、29歳で夭折したことを初めて知る。
没後70年と知り、29歳で夭折したことを初めて知る。
新美南吉の代表作「ごんぎつね」に触れたあとに、
《この短い一話が、どれほどの幼い心に、やさしさや哀(かな)しさをそっと沈めてきたか。
《この短い一話が、どれほどの幼い心に、やさしさや哀(かな)しさをそっと沈めてきたか。
その広がりには大文豪もかなうまい。「ごん」に限らず、人生の初期に出会うすぐれた
読み物には、たましいの故郷のような懐かしさが消え去らない》
と天声人語氏は言う。
と天声人語氏は言う。
そして、「手袋を買いに」の紹介に。
恥ずかしながら、私はこの小さな短い美しい物語を、今日初めてネットで読んだ。
そこには、いま読んでこその、深くて広がりのある世界を感じ取る。
雪の夜に、人が住む里に子ぎつねが手袋を買いに行く。
心配していた母ぎつねに、子ぎつねは、人間は優しくて手袋をちゃんと売ってくれたよと報告する。
それに応える母ぎつねの言葉でこの話は終わる。
心配していた母ぎつねに、子ぎつねは、人間は優しくて手袋をちゃんと売ってくれたよと報告する。
それに応える母ぎつねの言葉でこの話は終わる。
「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。
「ごん」の悲しい最期や、「手袋を買いに」の「ほんとうに人間はいいものかしら」との問いかけ、
南吉は大きい問いを残して若くして逝ってしまった。
まだ寒い日が続く前の、早い春の陽差しのような「手袋を買いに」であった。
南吉は大きい問いを残して若くして逝ってしまった。
まだ寒い日が続く前の、早い春の陽差しのような「手袋を買いに」であった。