遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

ウォッチメイカー/ジェフリー・ディーヴァー

イメージ 1

ウォッチメイカー〈上下〉  ジェフリー・ディーヴァー  池田 真紀子 (翻訳)(文春文庫)
“ウォッチメイカー”と名乗る殺人者あらわる。手口は残忍で、いずれの現場にもアンティークの時計が残されていた。やがて犯人が同じ時計を10個買っていることが判明、被害者候補はあと8人いる―尋問の天才ダンスとともに、ライムはウォッチメイカー阻止に奔走する。
サックスは別の事件を抱えていた。公認会計士が自殺に擬装して殺された事件には、NY市警の腐敗警官が関わっているらしい。捜査を続けるサックスの身に危険が迫る。二つの事件はどう交差しているのか!?どんでん返しに次ぐどんでん返し。あまりに緻密な犯罪計画で、読者を驚愕の淵に叩き込んだ傑作ミステリ。2007年度「このミステリーがすごい!」第1位、「週刊文春ミステリーベスト10」第1位、「日本冒険小説協会大賞・海外部門」大賞。 


上記の謳い文句に誘われ購入。楽しく読了。

車椅子の刑事といえば、われわれオールドファンにはTVドラマ「鬼警部アイアンサイド」がお馴染み。
アイアンサイドシリーズは、1969年から1975年まで4シリーズに分けて放送されたようだが、
私は毎週欠かさず楽しく観ていた。

ジェフリー・ディーヴァーの「ウォッチメイカー」、主人公の元鑑識刑事リンカーン・ライムは、
四肢が麻痺したニューヨーク市警の顧問で、アイアンサイドより重症の車椅子捜査官なのである。
本書は、ライムシリーズとして第七作目にあたるという。

ライムのチームに、“ウォッチメイカー”と名乗る殺人者の連続殺人捜査と、
公認会計士が自殺に擬装して殺された事件捜査という、大きな二つの事件が舞い込む。

ライムの腕利きの部下であり恋人であるアメリア・サックスは、会計士事件をさっさと片付けて、
ウォッチメイカー事件に合流しようとしていた。そして、これを最後に刑事の職を去ろうとしていた。
その間、サックスに代わり現場の証拠集めを担当するのが、ルーキーのロナルド・プランスキー。
プランスキーは前作から登場したようだが、ライムにしごかれながら成長していくさまが描かれている。
そして、猫の手も借りたいチームに西海岸からやってきた二児の母にしてキネシクスを駆使する捜査官、
キャサリン・ダンスがチームに加わる。
キネシクスとは、人の動作や身振りで、その裏にある心理を読み取る科学で、
ダンスは、キネシクスを武器に犯人や目撃者に尋問を実施し、彼らの嘘を見破り、
真相に近づいていくスキルを確立した捜査官である。

アトリエにこもってフィールドに出ない、天才的な芸術家のようなライムの洞察力と、
そのライムの片腕であり、明晰な頭脳も早撃ちの技術も備えた文武両道才色兼備のサックスと、
そのサックスに一歩でも近づきたいと汗をかきながら日々奮闘努力する愛すべきルーキープランスキー。
そして、現場に残された科学的な証拠以外に認めないライムも一目置く実績を紡ぎだすダンス。
これら、魅力的な捜査チームの、仕事振りがいきいきと描かれていて、素晴らしい読み物になっている。
現実はとてもこんなふうには行かないな、と分かっていて楽しめるのがエンターテイメントなのだから、
申し分のない楽しみ方ができるのである。

一方、さらにすごいのが犯人側。
“ウォッチメイカー”側の描写が、捜査側の物語の間に間断なく差し挟まれるのだが、
それでいてなお、犯人の姿がくっきりしてこないところが、ジェフリー・ディーヴァーの筆力のすごさかと思う。
公認会計士事件とウォッチメイカーの2つの事件のからまりかたも絶妙で、
くっきりしてこない犯人の肖像が、謳い文句にある「どんでん返し」という使い古された言葉に繋がっていく。

下巻の真ん中あたりで事件が一件落着し、でもいくらなんでも頁が残りすぎだよと思っていると、
次の大きな波がやって来てさらにサーフィンが楽しめるという按配になっている。

私は、二人の優秀な(でも心に傷も持つ)女捜査官サックスとダンスにとても惹かれたのだが、
それがたぶん作者の思う壺にはまっていることになるのだと思う。
本書で初登場のキャサリン・ダンス、この後彼女単独の主人公小説が上梓されたという。

本書最後に、サックスは捜査に協力してくれた元刑事のスナイダーを訪れる。
彼はサックスの捜査に協力したことで、かつて同僚たちから友情を剥奪されてしまっていた。
酒を断ち静かな余生を送っていたスナイダーは、また酒浸りの生活に戻っていた。
その協力者の自宅にサックスが訪問するところで本書は静かに終わりを迎える、
この最後の場面、サックスの人柄に触れ感心し、でもなぜか少し嫉み(そねみ)を覚えつつ、
涙が出るほど澄んだ気持ちで本を閉じることになる。