遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

海の仙人/絲山秋子

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 海の仙人 絲山 秋子 (新潮文庫)


大阪生まれの河野勝男は、東京で働いていたが、宝くじに当ったのち、
仕事を辞め、第二の人生を歩み始める。

住むところを探すような旅の後、落ち着いたところは、海や海岸が素晴らしい福井県敦賀
大阪言葉も抜けないまま、大ヤドカリを飼いながら、海で泳いだり釣りをしたり、
河野はまるで「海の仙人」のような暮らしを続けていた。

そんな河野の目の前に現れたのは、年上の中村かりんという優しい微笑みを持つ女性。
二人はやわらかな関係を保ち続ける恋人同士になるのだが、
かりんは仕事優先の女性で、転勤先に河野を呼ぼうとするが、彼は敦賀を離れないのであった。

そして、東京の職場で同期だった片桐という女性が、休暇を取って河野のもとを訪ねてくる。

 待ち合わせ場所の市役所の駐車場で河野があたりを見回していると、
「どっこに目ェつけてんだよ! カッツォ!」
 と、聞き覚えのあるだみ声とクラクションの音がして、振り向くとサングラスを
した女が真っ赤なアルファロメオGTVの窓から上半身を乗り出して、手を振って
いた。
「おう、片桐、相変わらず、柄悪いなあ」河野が笑うと、
「カッツォも相変わらずさえないなあ」と、片桐は大きな声で言った。

二人は最も仲の良い同期の男女で、片桐は河野に対して、実にストレートな物言いをする愛すべき同期。
片桐は、河野のことを男として意識しているのだが、最も仲の良い関係という以上の進展はないままである。

そんな河野の生活に入り込んできた片桐と、彼女より先に居候のように棲みついているファンタジーという名の男。
彼は、まるで実体のないできそこないの神様なのだけれど、
河野と片桐には姿が見えるし、話もできる。

その3人が、片桐の赤いアルファロメオに乗って、旅に出かけることになる。
忘れてきたものを拾いに戻るような短いその旅で、河野と片桐は、元同僚の澤田に会う。

「ファンタジーも孤独なんだね」片桐が言った。
「誰もが孤独なのだ」
 すると澤田が言った。
「だけんね、結婚していようが、子供がいようが、孫がいようが、孤独はずっと付
きまとう。ばってん何かの集団、会社にしても宗教にしても政党にしてもNGOに
しても属しとったら、安易な帰属感は得られるっちゃろうね」
「いや」
片桐が言った。
「孤独ってえのがそもそも、心の輪郭なんじゃないか? 外との関係じゃなくて自
分のあり方だよ。背負っていかなくちゃいけない最低限の荷物だよ。例えばあたし
だ。あたしは一人だ、それに気が付いてるだけマシだ」

このくだりがとても印象的だった。
(この文庫の解説は、私の嫌いな福田和也。よせばいいのに、福田も同じ箇所を取り上げている。)

何も考えていないようで、あっけらかんとしている女片桐に
「心の輪郭でもある孤独は、背負っていかなければならない最低の荷物だ」と
言わせるところが、絲山秋子スタイル。私は好き。

輸入車を乗り回す女とを描き、流れてくる音楽がマニアックなところも、絲山スタイル。
確かに、それってカッコいいんだけれど、置いてけぼりになることもしばしば。

私には、死神なのか救いの神なのかどちらなのかよく判らないファンタジーが降りてこない。
それって喜ばしいことなんだろうか。
よく分からない。

芸術選奨新人賞受賞。第130回芥川賞候補作。