遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

白い巨塔/山本薩夫

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ケーブルテレビで映画「白い巨塔」を鑑賞。
山本薩夫の素晴らしい名作だが、山崎豊子の原作から考えさせられる名作映画でもある。

浪速大学医学部助教授で、外科手術の権威で名医の誉れ高く、教授の地位を狙う野心家でもある財前五郎
教授になるためにはどんなこともいとわないその財前を、若き田宮二郎が名演。

一方、財全と同窓の里見脩二は、患者の立場に立った倫理観の強い学究肌の助教授。
その里見を、田村高廣がこれまた好演。
財前のずさんな検査による誤診と手術の結果、死に至った貧しい患者の訴えた裁判で、
里見は、結果的には財前と大学医局に反旗を翻すことになる「真実の証言」を行なう。

結局この裁判は、国立大学医局の名誉と権威を守る判決になり、
財前は教授として大学に守られ、里見は地方の大学に追われそうになり、大学に辞表を提出することになる。

原作は、1963年の山崎豊子の「白い巨塔」であるが、大学の医局「村」は、どうなったのだろうか。
IPS細胞の発見で、ノーベル医学賞に最も近い位置にある、京都大学山中伸弥教授は、
里見脩二に近い存在に私の目には映る。
山中は、自分が若い頃から目にしてきた難病で亡くなっていく患者のために、
研究を続けてきたとインタビューで語るのを聞いて、そう思った。

ただ、この国のかたちは、山崎が50年前に仕上げた創造の世界となんら変わっていないのではないだろうか。
金や利権や名誉のために、弱者や正直者や正義が犠牲になってはいないだろうか。

ほんの一握りの人間の金や利権や名誉のために、多くに人たちが傷つけられるこの国のかたちは、
修正されることがないのだろうか。

映画「白い巨塔」を観て、また、大飯原発再稼動、消費税増税3党合意、
教団代表の著書をいまだ所持していたオウムの特別手配者逮捕など、
今週のニュースを見てそんな感想を持った。

若い頃、田村高廣演じる里見脩二に出会っていなかったら、
財前五郎のような人物になっていたかもしれない。

「床屋のチャーリー」(「チャップリンの独裁者」)や、アティカス・フィンチ(「アラバマ物語」)や、
島田 勘兵衛(「七人の侍」)やフォレスト・ガンプやアラビアのロレンスなど、
里見脩二に言い換えられる人物は星の数ほどいるのだけれど。




監督 山本薩夫
脚本 橋本忍
原作 山崎豊子
製作 永田雅一
出演者
田宮二郎
田村高廣
東野英治郎
小沢栄太郎
石山健二郎
滝沢修
音楽 池野成
撮影 宗川信夫
編集 中静達治
製作会社 大映東京
配給 大映
公開 1966年10月15日
上映時間 149分
キネマ旬報ベスト・ワン、毎日映画コンクール大賞、
ブルーリボン賞作品賞、芸術祭賞、モスクワ映画祭銀メダル