遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

風信帖/空海

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週刊誌での連載コラムで内館牧子が嘆く。

とあるところの加藤さんちの長男クン小学2年生。
自分の名前を漢字で書いたら、
「名前を書く時に習っていない漢字を使わないように」と先生から注意されたという。
長男クンは、小学校の間はずっと「加とう」書くしかないという。

地方(あるいは学校)によって異なるようだが、
この「交ぜ書き」を指導する学校のほうが多いようである。

名付け親として意識したわけではないが、うちの娘たちの名前は(名字も)、
小学校3年までに習う漢字に入っていて、「交ぜ書き」には当惑しなかっただろうが、
いまどきのハイカラへんてこネーム、名前も交ぜ書きになる生徒も多くいることだろう。

少し話はそれるが、私は子どもの頃、甲子園に出場する高校の名前で、
たとえば、津久見は大分、桐生は群馬、下関は山口、倉敷は岡山といった感じで、
地方都市を認識した記憶がある。

学校で習わなくても、日常の暮らしで学習することのいかに多いことか。
小学校の授業で「藤」の字を習わなくても、加藤クンのクラスメートや友だちは、
「藤」の字をいち早く覚えられるのだ。
未知の文字で、生徒間でもコミュニケーションがはかれるのに、もったいないことだ。
そもそも「藤」の付く名字を持つ生徒、日本では一番多いのではないだろうか。

内館は、このような「交ぜ書き」指導を嘆いているのである。同感である。


前置きが長くなった。
画像は国宝「風信帖(ふうしんじょう)」。

空海最澄に宛てた手紙で、まだ仮名の生まれる前なので、当然すべて漢字。
年長の最澄が、唐から帰った空海密教の教えを請う手紙に応えたもので、
最澄を意識したのか、筆使いは空海の緊張感が伝わるという。

「あなた(最澄)と堅慧(推定)と私の3人が集まって、
仏教の根本問題を語り合い仏教活動を盛んにして仏恩に報いたい。
どうか労をいとわず、この院(乙訓寺と推定)まで降りて来て下さい。ぜひぜひお願いする。」
といった内容で、空海40歳前後、西暦812年(弘仁3年頃)の筆跡とされている。

きちんと読めないし意味もつかめないけど、巨人にして天才の手になる、国宝中の国宝である。
「風信雲書自天翔臨」で始まるこの書、
画像でしか見たことがないが、何度見ても襟を正して向き合うことになる。
東寺では時々公開されるというので、死ぬまでに一度本物に接してみたい。

空海は、室戸岬の洞窟の中で悟りを開いたといわれており、
その洞窟からは「空と海」しか見えなかったため、「空海」と名乗ったと伝わっている。
ちなみに、空は小学1年で、海は小学2年生で習う漢字である。