遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

3月11日のマーラー/ハーディングと新日本フィル

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地上波のテレビ番組はほとんど見ないのだが、

偶然NHKの総合テレビでこのドキュメンタリー「3月11日のマーラー」と遭遇。

【NHKの番組紹介】イギリスの人気指揮者、ダニエル・ハーディング(36歳)を迎え、その日、すみだトリフォニーホール(東京都墨田区)の1800の客席は立錐の余地なく埋まるはずだった。しかし、3月11日、開演時間の午後7時15分を迎えたとき、会場にやってきた観客はわずか105人であった。たった105人の観客の前で演奏されたのはマーラー交響曲第5番」。その場に居合わせた誰もが忘れられない伝説的な夜となった。葬送行進曲に始まり、壮大なフィナーレに至る70分の演奏会。
記録されていたこの日の映像と音楽、そして当事者たちの証言によって、3月11日・奇跡の夜を再現する異色のドキュメンタリー。

番組紹介にある、インタビューされた当事者たちとは、

指揮者のダニエル・ハーディング、新日本フィルのメンバーたち、

コンサートの主催者たち、それと、当日会場に居た観客たち。

当事者たちのインタビューが、どれもとても素晴らしくて深いものだった。

どなたも豊かな言葉と心を持っている人たちで、心底感心した。



敢えてコンサートを中止しなかった主催者と指揮者と新日本フィル

観客が来てくれる以上、今自分たちにできることを精一杯やろうという決断の末の、

コンサートの決行であった。


ホール付近に立つ東京スカイツリーを目印に、歩いて会場に向かう観客は、

事前にホールに問い合わせ、当日のコンサートは予定通り開催されるという回答を得ている。

77歳の年金生活者の女性の楽しみは、会員になっている新日本フィルの年8回のコンサートで、

当日も開催されるならと、6キロ以上の道のりを歩いて出かけたと証言する。


新日本フィルの多くのメンバーは、こんなときにこんなコンサートを開催していいのだろうかと、

はじめはそう思ったと、後日のインタビューで語っていた。

しかし、リハーサルでの指揮者のハーディングは、普段どおりでとても集中していたという。

彼は落ち着いていたというより、ひとりでいたくなかったのだと、後日正直な気持ちを言う。


1800席のホールで105人の観客たちは、

買い求めたチケットの席番号どおりの席に座って開演を待っていた。

このあたりで、私は涙腺が緩みはじめた。


一旦演奏会が始まると、演奏者はとても集中して演奏に臨めたと異口同音に言う。

プログラムがマーラーの5番だったことも幸いしたようだった。

当日の演奏会の映像と音楽が、番組で放送された。

第1楽章は「葬送行進曲」で、トランペットのソロで始まる。
(参考映像: http://www.youtube.com/watch?v=1WObbl59Gh4 )

55分の番組のまだ半分にも満たないところで、その場面が放送された。

私はその後、ずっと涙を拭きながら、この番組を見ていた。

5楽章の最初のホルンの長い一音も、崇高な鎮魂の願いがこもっていた。

きっと、私は残る人生の中で、マーラーの5番を聴くたびに、

この番組で出会ったこの日の演奏会のことを思い出すに違いない。


まだ震災の甚大な被害状況もはっきりしていなくて、

当日の2時46分には、すでにリハーサルのためにホールに到着していた楽員たちは、

外部との連絡もままならない状況で、すごい集中力でオーケストラの命をかけて演奏した。

その魂の演奏に、私は涙が止まらなかった。


翌日、この演奏会は中止になった。