遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

舟を編む/三浦しをん

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舟を編む   三浦 しをん (光文社)
 
「右」という語を岩波国語辞典で引いてみると
〈相対的な位置の一つ。東を向いた時、南の方、またこの辞典を開いて読む時、偶数ページのある側を言う。〉
 
井上ひさし「本の枕草紙」(1982年、文芸春秋)で、岩波国語辞典のこの「右」の説明部分をほめたたえていて、
私もそれ以来、この辞書を使うことにした。
 
とはいえ、しばらく本棚で他の辞典たちと、本を支えるブックエンドのような存在になっていて、
何ともかわいそうで、三浦しをんの「舟を編む」と、ブックエンド化仲間の「広辞苑」と一緒に、
記念撮影をして、この記事の画像とした。
 
さて、ということで、ご紹介は三浦しをんの「舟を編む」。
昨日、朝のホームで私の横で電車待ちをしている若い女性が、「舟を編む」を読んでいて少し驚いた。
電車に乗り込んでから私も読み出したので、狭い空間で同じ書物を読むということに初めて遭遇した。
 
<<表紙帯の梗概(こうがい)より>>
玄武書房に勤める馬締光也。営業部では変人として持て余されていたが、人とは違う視点で言葉を捉える馬締は、辞書編集部に迎えられる。新しい辞書『大渡海』を編む仲間として。定年間近のベテラン編集者、日本語研究に人生を捧げる老学者、徐々に辞書に愛情を持ち始めるチャラ男、そして出会った運命の女性。個性的な面々の中で、馬締は辞書の世界に没頭する。言葉という絆を得て、彼らの人生が優しく編み上げられていく―。しかし、問題が山積みの辞書編集部。果たして『大渡海』は完成するのか―。
 
玄武書房という出版社で、15年の歳月をかけて編纂された辞書「大渡海」。
この辞書は、総ページ数約3千ページにおよぶ「広辞苑」並みの大辞典という設定である。
その編集部の人たちの春秋を、仕事振りを描いた、嫌な奴は一人も出てこない、心の温まる小説である。
 
「辞書は、言葉の海を渡る舟だ」「海を渡るにふさわしい舟を編むといった登場人物の言葉が、
タイトルの「舟を編む」を説明しているであろう。
 
しかし、そのロマンチックなタイトルとは裏腹に、長き道を一歩ずつ歩いて行く編集部。
出版まで15~20年という歳月があらわすように、金食い虫といわれる出版社のお荷物的セクションの、
辞書編集部の人物像がよく描かれている。
 
「用例採集カード」を肌身離さず持ち歩いて、新しい言葉を採集する老学者から、
その何十万枚という用例採集カードの「採用」となった言葉が、ゲラ原稿に印刷されているかをチェックする、
大勢の学生アルバイトまで、辞書が出来上がるには、途方もない労力が注がれることが描かれている。
 
ことに主人公の馬締(まじめ)光也は、浮世離れした真面目青年で、
こつこつと一心不乱に仕事をする姿が、作者によって飄々とさらっと描かれていて好感が持てる。
 
トレンディな女性雑誌編集部から異動してきた現代的な若い女性岸辺も、
同年代の女性に親近感を持たせる存在であろう。
辞書編集部で成長していく岸辺の思いに、この作品を貫く大きなテーマをしのばせるところなどが、
作者三浦の一流の証だろうと思う。
<<辞書づくりに取り組み、言葉と本気で向き合うようになって、私は少し変わった気がする。岸辺
はそう思った。言葉の持つ力。傷つけるためではなく、だれかを守り、だれかに伝え、だれかとつ
ながりあうための力に自覚的になってから、自分の心を探り、周囲のひとの気持ちや考えを注意深
く汲み取ろうとするようになった。>>
 
通算5校を数える辞書の原稿、その紙束の山がうずたかく積まれている編集部はどんなのだろうか、
実際に見てみたい気がする、映画化に耐えうる物語である。
 
私の岩波国語辞典は、本棚を降りて、リビングルームに据え置かれることになった。