遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

第146回芥川賞「共喰い」/田中慎弥

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第146回芥川賞を「共喰い」で受賞した田中慎弥、5回目の候補で受賞となったようだが、
受賞記者会見では「私がもらって当然だと思う」「都知事閣下と都民各位のために、もらっといてやる」と
とても不機嫌だったという。質疑の一部始終は↓で。
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/800/106738.html(NHK「科学と文化」ブログより)
 
まあ不機嫌な理由は、大騒ぎがが嫌いだ・人前がいやだなど、いろいろあろうが、
選考委員の一人石原慎太郎が、
今回芥川賞にノミネートされた作品について「バカみたいな作品ばっかりだ」と発言したことにもあるようだ。
 
選考委員で賞の発表記者会見を行なった黒井千次は「共喰い」について、
「文章の密度が高く、人物を含めた生活の描き方がダイナミック。普通の才能ではない」と評した。
また、田中の母親である真理子さんは「これまでの作品は内容が難しかったが、今回は面白かった。
ひょっとしたら取れるかも」と希望を持っていたという。「皆さんに感謝の気持ちでいっぱい」と控えめに喜びを語った、という。
 
では過去の、田中慎弥に対する選考委員の論評はいかなるものだったのだろうかと、
探してみたら、↓以下の立派なサイトに遭遇した。
直木賞のすべて
http://homepage1.nifty.com/naokiaward/
芥川賞のすべてのようなもの
http://homepage1.nifty.com/naokiaward/akutagawa/
 
「共喰い」の論評はまだ出ていないが、田中慎弥の過去の4候補作の選考委員の態度は、
ざっと以下のようなものである(詳細な論評は最後にまとめている)。

石原と宮本輝にはいつも見向きもされていないし、村上龍にいたっては一言も発していない。
山田詠美高樹のぶ子黒井千次は中立で、作品によって評価が分かれる。
そして、池澤夏樹小川洋子川上弘美は田中を認める側にいつもいる。
 
一般的な話として、人物評などというものも田中の作品評価に似たところがあって、
はじめは海のものとも山のものとも評価されず、少しずつ理解を示してくれる人も出てきたりして、
でもいつまで立っても認めない人も存在し続ける。
 
選考委員の島田雅彦は6回もノミネートされて受賞できなかったのだし、
黒井千次山田詠美も、芥川賞は候補になっただけである。
万人に認められる人物や仕事ぶりや芸術作品など存在しないし、
こいつにだけは認められたくない、ということもあるわけだから、
応援してくれた母親や選考委員や周辺の人向けに、田中は笑顔で記者会見してもよかったかも。
 
評価するとは、一定程度の度量の広さや新しい情報や知識も必要で、
好き嫌いだけじゃ片付かないものなので、選考委員のお頭が陳腐化していることは怖いことである。
そのことにようやく気付いたのか、石原クンは選考委員を辞めるという、めでたい。
 
ともあれ、芥川賞受賞、なによりなことである。「共喰い」はすでに予約販売が始まっている。
田中クン、母上と山口で(どこででもいいけど)長く幸せに暮らされたい、めでたしめでたし。
 

<<田中慎弥の過去4回の候補作の論評まとめ 芥川賞のすべてのようなもの」より>>
選考委員の論評の要約はサイトの運営者が行い、■●などの評価マークも、サイトの運営者がつけたもの。
積極的な賛成、自発的に推薦、最も高い評価
中立的な賛成、最終的に賛成、2番目に高い評価
消極的な賛成、授賞に異議はなし、やや評価
態度不明、賛成か反対か読み取れず
■ 中立的な反対、賛成・態度不明から最終的に反対、長所も認めるが結果的に反対
● 積極的な反対
― 評価なし
 
◇第136回候補 「図書準備室」 (『新潮』平成18年/2006年7月号)
 
 
石原慎太郎 ●「論外と思われる。」
 
池澤夏樹 「おもしろかった。」「太宰治町田康の偽悪的饒舌に通じる文体で、最後まで聞いていたのは幼女一人という終わりの光景もいい。」「何よりもここには無謀な意図がある。破綻しかねないところをなんとかまとめている。その意図を買ったのだが、これを推したのはぼく一人だった。」
 
黒井千次 ■「可能性を孕んでいるが、それがまだ存分に展開しきれていない印象が残った。」
 
山田詠美 ■「読み進めて行く内に、暗く、しつこいふざけ方に引き込まれ、この作品を推しても良いかもーとついうっかり思ってしまったが、鶏小屋のエピソードにさしかかったあたりから、もう、げんなり。」 
 
◇第138回候補  「切れた鎖」 (『新潮』平成19年/2007年12月号)
 
 
石原慎太郎 ●「今回の候補作(全体)を通じていえることは素材の軽さといおうか、生活の無為性、無劇の劇性というべきものだろうか。」
 
小川洋子 「梅子が、私は忘れられない。性的な言葉を放出しながら他者を蔑む彼女の存在感は圧倒的だった。たとえ古臭いと言われても、構わず行けるところまで行ってほしい。」
 
黒井千次 ● 「企みと作品の仕上りとの間に隙間があるような印象を受けた。」
 
山田詠美 ● 「過去と現在、母と娘などの書き分けが上手く出来ていないので、誰が誰だかさっぱり解らなくなる。」
 
 
◇第140回候補 「神様のいない 日本シリーズ」 (『文學界』平成20年/2008年10月号)  
石原慎太郎 ●「今回の受賞作以外の作品に、反発をも含めて、読む者の感性に触れてくる何があるというのだろうか。どれも所詮は作者一人の空疎な思いこみ、中には卑しいとしかいえない当てこみばかりで、うんざりさせられる。」「一方の直木賞候補作品たちに比べてみても、今日の純文学とか称されるカテゴリーの作品の不人気衰退が相対的にいかにもうなずける。」
 
 
宮本輝 ● 「作品のなかにたくさんの材料を用意したが、それらは別々のものとしてばら撒かれただけで、融合して化学反応を起こさないまま終わってしまったという印象である。」
 
小川洋子 「アンバランスな気持の悪さが、最後まで気になった。」
 
山田詠美 ■ 「ドラマティックな仕掛けが過ぎて大失敗している。しかし、ドアの向こう側に、実は息子がいなかったとしたら、大成功だったような気もする。」
 
川上弘美 ■ 「この作品は揺れているとみえて、存外揺れていない。「このように書こう」と、作者は思っているようにみえる。」「死んだウサギを、作中の人たちは食べなかった。ただ捨ててしまった。わたしはここで、作者の魔術の世界から、はずれてしまいました。」
 
黒井千次 「特に印象に残った。」「よく作られた小説でその工夫に感心させられた。ただ、中学生がベケットの「ゴドーを待ちながら」を上演するという話の運びには問題があるのではないか。」
 
高樹のぶ子 「とりわけ語り手である主人公の、思春期における身体的なリアリティがいい。男三代の野球との関わりは、そのような鏡でもなければ世代を超えての男たちの繋がりを描けないと言う意味では企みを買うけれど、ここに「ゴドーを待ちながら」が入ってくると、観念の操作が透けて見えてしまう。」
 
池澤夏樹 「およそ無謀な企てであり、いくつかの点で破綻している。」「いかになんでも盛り込み過ぎ・作り過ぎ。それを承知で敢えてこの蛮勇の作を推したが、敗退した。」
 
◇第144回候補 「第三紀層の魚」
 
石原慎太郎村上龍池澤夏樹
 
島田雅彦 ■ 「あえて低く設定したハードルを綺麗に飛んだという印象を受けてしまった。」「様々な小説的仕掛けを持っている人なので、それをしっかり悪用もしくは善用する従来の作風で、大きなチヌを釣り上げるべきである。」
 
高樹のぶ子「もっとも心地よく素直に読めた」「ただ、子供の視点で描かれた小説は、原則二割引になる。(中略)この作品に即して言えば、曾祖父の人生は少年の目からはこれで充分なのだが、大人の目で彼を見れば、もっと様々な屈折が浮かんでこなくては充分とはならない。」
 
川上弘美 「この作品ではじめて、作者は語ろうとしていることと視座との幸福な一致を得たのではないかと、読みながら思いました。」「三回、わたしはこの小説を読みました。読むたびに、好きになりました。最初に読んだ時には素通りしてしまった魅力的な言葉、表現が、読むたびにあらわれるのです。この作品を、わたしは一番に力をこめて推しました。」
 
小川洋子 ■「タイトルの果てしなさとは裏腹に、大人しくまとまっていた。」「これだけの素材がそろえば、田中さんならもっとすさまじい世界を描くことができただろう。しかし今回、そうはしなかった。そう書かなかった意味が、何かしらあったのだと思う。」
 
山田詠美 ■「四代に渡ってつなぎ止められて来た「負け戦の勲章」が苦い魅力を付け加えている。最後に、チヌではなく大きなコチを釣って泣いてしまう少年の涙の出所がいじらしい。しかし、曾祖父の遺体に日の丸をかけるのはやり過ぎだろう。」
 
黒井千次 ■「父や母といった身近な肉親ではなく、祖母と曾祖父という年齢の離れた人物との関りの中に、日の丸の旗や勲章が登場して時代の影が映し出されている。ただ、いささか話の流れが穏やかになり過ぎてまとまりが強くなった分だけ、中から弾けるような力は弱くなったのかもしれない。」
 
宮本輝 ■「小学四年生の男の子の視線には、おとなの作者の目が多く介入しすぎていて、チヌを釣ることも、乱暴そうな、あらっぽい釣り人も、第三紀層の魚という題も、どれもひとつの有機体として作用していない。読後、痒いところに手が届きそうで届かないもどかしさが残った。」