遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

夜と霧/ヴィクトール・E・フランクル

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「夜と霧」    ヴィクトール・E・フランクル    池田香代子 訳    みすず書房
 
<<昨年1年間に自殺した人が3万513人だったことが10日、警察庁のまとめでわかった。3万人を超えるのは14年連続だが、前年より1177人減っており、2年連続の減少になった。 2012年1月10日asahi.comより>>
 
「漠然とした不安」より、「歴然たる苦しみ」の方に、人は打ち勝とうとするのだろうか、
苦しいことのみ多かったような2011年だったが、自殺者数は減少傾向をたどっている。
それにしても、相変わらずの年間に3万人超えの自殺者を抱える不思議な国日本ではある。
 
さて今年初めての紹介本は、戦後間もない1947年にヴィクトール・E・フランクルによって書かれ、
1977年に書き直され翻訳者も新しくなった新版「夜と霧」である。
恥ずかしながら57歳の昨年の夏に、三輪裕範の「自己啓発の名著30」で知った名著である。   
http://blogs.yahoo.co.jp/tosboe51/65055533.html
 
ネットで書籍購入するのが常になっているのに、なぜかこの本は書店で買おうと、
大阪の大きな書店で、「心理学」のコーナーの書棚にあるのをようやく見つける。
せめて、もう少しやわらかい「ノンフィクション」の書棚か、
欲を言えば、多くの人の目に留まる「名著・ロングセラー」のコーナーを特設して積んでほしい1冊である。
 
作者のフランクルは、ユダヤ人の心理学者にして、ナチに捕らえられた強制収容者で、
絶望の淵に立ちながら、生還を果たした。
30代後半の最も充実した一時期を、収容所でナチとナチに寝返ったユダヤ人たち(カポー)による、
徹底した迫害に遭遇した。
その迫害の壮絶な記録は、生還したフランクルがこの著書の中でつまびらかにする。
壮絶な記録は、「壮絶」などと簡単に呼べないほど、想像を絶するものであるが、
フランクルが伝えたかったのは、彼がいかにして収容所から生還できたかということにある。
 
脱走を試みる体力すらなく、ガス室送りになることは確実と思われる絶望の淵に立ちながらもなお、
自分に未来はあると信じる術をフランクルは持ちえていて、それをどのように実践したかを克明に綴っている。
 
私が強制収容所に入れられたなら、ヒトラーを呪いナチを呪いナチの看守を呪い裏切り者のカポーたちを呪い、
ユダヤに生まれたことを呪い、囚われたことを呪い、身も心もぼろぼろになり死んでいくことになりそうである。
しかし「夜と霧」を読んだ今は、フランクルのように収容所生活を「やり過ごす」術を身に付けており、
ガス室に送り込まれない限り私は生還することになるのだろうが、
実は私たちは、生き馬の目を抜くような厳しい現実を前にして、知らず知らずのうちに、
やり過ごしたり逃げたり避けたりしながら、しなやかに生き抜いていく術を、
大なり小なり身に付けているのであろう。そのことをこの1冊が気付かせてくれる。
 
フランクルは、生還すれば「夜と霧(原題は「ある心理学者の強制収容所体験」)を書こうと思っていて、
その思いも彼を生きながらえさせた強い精神力を与えてくれたのかもしれない。
だからこそ、毎年3万人の自殺予備軍を持つこの国「収容所列島日本」に住む、
悩める絶望する人たちに「夜と霧」読んでいただきたい。
勇気の一冊である。
 
<<人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、何らかの決断を下せるのだ。典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。(本書111~112頁)>>