遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

赤いチョッキの少年/ポール・セザンヌ

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ポール・セザンヌ 「赤いチョッキの少年」 1888-1890年


わが国初の、セザンヌの作品を広く集めてきて開催されたのが、

1974年のセザンヌ展。

この年のセザンヌ展が、二科展などの公募展を除くと、

私の初めて本格的な展覧会の体験だった。


当時のデータを検索していたら、以下のデータに出くわした。

セザンヌ展
1974(昭和49)年3月30日- 1974(昭和49)年5月19日

会場:国立西洋美術館
主催:国立西洋美術館読売新聞社
出品点数:絵画61点、素描67点、版画10点、参考資料1点、計139点
入場者数:541,149 人
巡回先:京都市美術館、1973年6月1日~7月17日/福岡県文化会館、1973年7月24日~8月18日

当時の国立西洋美術館の会期中の、入場者数54万人というのは、

休館日を差し引いて計算すると、1日の平均入場者数が1万3千人を超える。

これは驚くべき数字で、毎年長蛇の待ち行列ができる正倉院展に匹敵するものである。

ことほどさようにセザンヌの絵は人々を魅了する。


京都市美術館で開催中のワシントン・ナショナル・ギャラリー展、

今日ご紹介の作品は、セザンヌの「赤いチョッキの少年」。

セザンヌは、父親の遺産を相続して裕福な生活が可能であったようで、

この作品の少年をモデルとして雇っていたようで、

「赤いチョッキの少年」はこれ一作ではなく何点か存在する。


1958年、アメリカの実業家で美術収集家のポール・メロンが、

ロンドンのサザビーズのオークションで、61万ドルという気の遠くなるような金額で、

この作品を競り落とし、最終的には他の作品と同じく国に寄贈した作品である。


例によって色彩を面でとらえてそのまま表現するような手法で、

色彩に濁りがなく、少年の微妙なバランスの立ち姿の造形と、

彼を取り囲むドレープの質感が的確で、

セザンヌの色彩感覚とデッサン力の実力が、さらりと語られている作品である。


一度目にしたら忘れられない作品であろう。