遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

38年ぶりの勝利/作新学院

 
今日、作新学院高校は、甲子園で38年ぶりに勝利した。 
38年前に勝利した投手は江川卓だった。
ということで、以前紹介した江川の戦績記事を再掲。
 
高校1年(昭和46年)
《第53回全国大会栃木県予選》
 2回戦◯足尾=救援5回無走者
 3回戦◯足利工大付=先発8回無失点
 準々決勝◯烏山完全試合[1]8奪三振)
 準決勝●宇都宮商=延長11回無死で四球を与え降板 (救援投手が打たれ、敗戦投手)
《第24回秋季関東地区大会栃木県予選》
 1回戦◯足利工=ノーヒットノーラン[1] (9奪三振/1死球)
《第25回春季関東地区大会栃木県予選》
 1回戦◯黒羽=ノーヒットノーラン[2] (17奪三振/3四球)
 
高校2年(昭和47年)
《第54回全国大会栃木県予選》
 2回戦◯大田原=ノーヒットノーラン[3] (13奪三振/1四球)
 3回戦◯石橋=完全試合[2] (17奪三振)
 準々決勝◯栃木工=ノーヒットノーラン[4]  (16奪三振/3四球)
 準決勝●小山=延長11回スクイズ1失点敗退 (15奪三振)
《第25回秋季関東地区大会栃木県予選》
 1回戦◯那須=先発5回無安打無失点 (14奪三振)
 準々決勝◯足利工=完封2安打 (15奪三振)
 準決勝◯宇都宮学園=先発6回2安打無失点 (6奪三振)
 決勝◯烏山=完封2安打 (10奪三振)
《第25回秋季関東地区大会》
 準々決勝◯東農大二=先発6回1安打無失点 (13奪三振)
 準決勝◯銚子商=完封1安打 (20奪三振)
 決勝◯横浜=完封4安打 (16奪三振)
 
高校3年(昭和48年)
《第55回全国大会栃木県予選》
 2回戦◯真岡工=ノーヒットノーラン[5] (21奪三振/1四球)
 3回戦◯氏家=ノーヒットノーラン[6] (15奪三振/無四球/振り逃げ1)
 準々決勝◯鹿沼商工=1安打完封 (15奪三振)
 準決勝◯小山=先発8回1安打無失点 (10奪三振)
 決勝◯宇都宮東=ノーヒットノーラン[7] (14奪三振/無四球/2失策)
                  
江川を始めて見たのは、彼が3年のときのセンバツ大会。
私の地元の北陽高校が江川の対戦相手で、北陽は出場校中トップのチーム打率3割3部6厘。
結果は、江川が19三振を奪って、全国デビューを勝利で飾った。
三振ばかりだと作新ナインの守備機会が少なくて後の試合に差し障りがあると、
途中から打たせて取るピッチングだったにもかかわらず、19奪三振だった。

彼の投げる球の凄いことも、フォームの美しさも、
どんなときでも顔色ひとつ変えない態度も、すでに完成された一級品であり、
まことに魅力的な少年であった。
私は、自分より2歳下の高校生の一挙手一頭足、
彼の投げる総ての投球から、目を離せなかったことを憶えている。
 
そして、その年の夏も、完璧な予選の成績で、
上に書いた戦績にもあるように、県大会予選5試合で、
打たれたヒット2本、ノーヒットノーランを3試合、
(うち1試合は、振り逃げでランナーを出して完全試合を逃している)、
75奪三振で、甲子園に乗り込んできた。

夏の甲子園で、貧打の作新学院は1回戦は1点差で勝利するも、
2回戦で銚子商業に0対1で敗退した。
もっと長くその夏を楽しみたかった私には、作新の敗退は実に残念であった。
しかしもっと残念だったのは、その後の曲折で、
若き江川をすぐプロ野球で見られなかったことであった
 
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