宮台真司は、本書まえがきで、
<<講談社から震災を機に新書を書けとの御依頼をいただいた。
僕は即座に飯田哲也(てつなり)氏との共著ならば引き受けると申し上げた。>> と書いている。
宮田と飯田は昭和34年(1959年)生まれの同年。
日本製の二人の素晴らしい知識人も存在する。
私は本書のことを、といっても著者とタイトル名だけだったが、
NHKの「週刊ブックレビュー」で知り、即座に買い求めた。
宮台と飯田が、いま「原発社会からの離脱」を語ってくれるなら、
これ以上のものは望めないと、買い求めた。
本来なら原発推進派の真ん中に居てもおかしくないはずなのだが、
本書で「原子力ムラ」を出て行った経緯も詳しく語られている。
ムラに居たときも、ムラを出た後も、国の内外で原発や環境エネルギーとかかわり、
こんなに多くの課題と向き合っていた人物は、ほかにいないのではないだろうか。
この国の悲しむべき旧態依然としたシステムが手に取るようにわかる。
このひどい「旧いシステム」は、そのほとんどが、
ただ「旧いシステム」は、霞ヶ関ムラのみならず、
この国のありとあらゆるところで目にするシステムでもある。
飯田は、あとがきで
この国の「旧いシステム」は、あまりに日本社会を構成する大多数の善良な人々、とり わけ最底辺層や将来世代への眼差しが欠けているだけでなく、その善良さを愚弄し、見下 し、しかもそこに付け込んで「寄生」しているとしか思えない。しかし他方で、それを批 判して理想論を美しい論文にまとめても、どろどろした「現実」に手を突っ込まなけれ ば、それはエクスキューズにしかならない。
として、実践派ならではの力強い宣言を行なっている。
如何ともしがたいといえば、
画竜点睛を欠くことになると思うが、いかがであろうか。