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あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

原水禁世界大会が福島で

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原水禁世界大会、福島で 「原発事故、核考える転換点」2011年6月8日
     
 原水爆禁止日本国民会議原水禁)は、今夏の世界大会を7月31日に福島市で始める方針を決めた。これまでは主に広島、長崎両市で開催してきた。東京電力福島第一原発の事故を受け、今年は「脱原発」の主張を前面に出す。 

 旧ソ連チェルノブイリ原発事故の被災者も招く。原水禁関係者は「原発事故で今年は核利用を考える転換点になった。エネルギー政策を考え直す大会にしたい」としている。 

 今夏の大会は福島市を皮切りに広島市(8月4~6日)、長崎市(同7~9日)、沖縄県(同11日ごろ)でも開く。


1979年8月6日、私はその前日から広島に入って、

原水爆禁止1979年世界大会広島大会の皮切りとなる、

折りづる平和行進に参加していた。


翌朝は、平和記念公園広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式に、

約3万人の市民のひとりとして参列。

あの日と同じ暑い日差しの広島であった。


原水禁大会の分科会に向かうために、

バス停で初老の男性にバスの行き先を確認したところ、

バスの回数券をちぎって1枚くださった。

ありがたく頂戴し、同じバスに乗り込みしばらくお話しした。

その出会いだけなのに、その方の反核の精神をも、

私はいまに受け継いでいると思っている。


その年には、全米各地で反核集会が行なわれており、

原子力発電所前などでデモ行進を行ない、逮捕者までも出していたという。


原水禁の大会では、当時すでに原発の是非についても討議が行なわれていて、

私も含めて、その当時から、原発反対を唱える人たちが実に多くいた。


原水禁の統一大会(78年までは分裂大会だった)開催のために、

党派を超えて奔走したのが、市川房枝であった。

1970年代の半ば、月1回土曜日の新橋での市川房枝の街頭演説のたび、

傍らに立ち市川をサポートしていた市民活動家菅直人

彼は、市川の何を受け継いでいるというのか。


私の参加した原水禁大会から32年、

核廃絶原発反対の時計は止まったままである。

福島での原水禁大会の成功を祈る。