遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

北国の春/千昌夫

 

拙宅の庭には、こぶしが1本植わっているのだが、隔年でしか花が咲かない。
我が家のエゴノキも同じく隔年に花をつける。
今年は、こぶしもエゴノキも花が咲かない年にあたる。
咲かない年が1年ずれていてくれたら、淋しい春にならないのに残念である。

さて、いつもGWの頃には桜前線は東北地方に達しているのだが、
大震災の今年ももちろん同じ速度で青森に達しているようで、
満開の弘前さくらまつりは盛況のようである。

ということで、「こぶし」「東北」「春」で無理やり連想させると、
千昌夫の「北国の春」ということになる。

1978年、偶然カーラジオから流れた「北国の春」を聴いて、
「えーこれいい曲やなあ」と私。
実はすでに前年1977年の紅白歌合戦で、千昌夫はこの歌を歌っていて、
私がこの歌を好きになってから、78年79年と連続でこの歌を聴かせてくれたのであった。
当時の私としては、嬉しい3年連続同じ楽曲「北国の春」、だったことをよく覚えている。

遠藤実の曲は、舟木一夫の学園ソング時代からよく歌っていて、
千昌夫の「星影のワルツ」も大好きな1曲である。
遠藤の曲は、独特の叙情感があり、学園ソングでさえ哀感や郷愁がある。
北国の春」は、アジアの人たちに特に人気のある歌で、
哀愁のある素直なメロディーが、人々の心を打つのだろう。

言うまでもなく、いではくの歌詞も、申し分のない名作である。

千昌夫岩手県陸前高田市の生まれという、
いまこの曲を聴くと、私はまたまた涙腺がゆるんでしまい、
ワンコーラス目の歌詞で、すでに歌えなくなってしまうのである。
 
本家、千昌夫の歌唱でお聴きになっていただきたい 「北国の春」。
 
 
イメージ 1