遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

東都浅草本願寺/葛飾北斎

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東京都武蔵野市にある成蹊高校・中学の観測所では、

昭和38年(1963年)から、毎日欠かさず、

学校から85キロ離れた富士山が見えるかどうかを観測し続けている。


2010年の富士見日数は、なんと116日を記録し、

成蹊観測所始まって以来最多の日数を更新したという。

武蔵野で、3日に1日は富士の雄姿が拝めるというニュースに、

私は正直驚いた。


NHKの朝のニュースによると、

東京都心から富士山が見える日数も徐々に増えてきているとかで、

遠くから富士が見える条件は、基本的には天候の具合が影響するのだが、

大気がきれいになってきたことに加えて、大気の乾燥化の影響もあるようだ。


2010年の夏の猛暑と少雨は、富士見日数新記録に貢献したのかもしれない。

昭和の高度経済成長期に比べて、確実に大気や河川は浄化されてきた、

しかし、乾燥してきたというのは、また別の危機が地球に訪れたのだろう。

富士見日数が過去最高だといわれても、少し複雑な心境である。


葛飾北斎の頃は、どこからでも富士はよく見えたに違いなく、

「凱風快晴」は富士裾の山梨の赤富士だが、
http://blogs.yahoo.co.jp/tosboe51/38034455.html

「神奈川沖浪裏」のように、神奈川の荒波越しにも、よく見えた。
http://blogs.yahoo.co.jp/tosboe51/7841299.html

そして、きょうの一枚「東都浅草本願寺」のように、

江戸のいたるところから富士山が眺望できたようで、

富嶽三十六景のうち、18枚が江戸から見えた富士が描かれている。

今でも、空気の澄んで乾燥した冬場に富士はよく見えるのだが、

北斎の描いた浅草は、凧が揚げられ、季節はちょうど今頃なのだろう。

お寺の鬼瓦を手前に、家並みにそびえる火の見やぐらと、

白雲たなびくところを突き抜ける凧と雪を頂いた富士山が見事な構成で、

雄大な景色となって私たちを楽しませてくれている。


関西に住んでいると、実物の富士山にはなかなかお目にかかれない、

富士を見て暮らせるというのは、うらやましい贅沢なのである。