遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

文化功労者/吉永小百合

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本日、文化の日、皇居では文化勲章の授与式が行なわれた。

今年の受章者は、ノーベル化学賞鈴木章根岸英一をはじめ、

有馬朗人安藤忠雄蜷川幸雄三宅一生、脇田晴子という面々。

「蜷川と三宅が? もっと相応しい御人がいるんじゃないの?」

という私の好き嫌いはともかくも、厳かに授与式は執り行われたようだ。


明日には、文化功労者顕彰式が東京都内のホテルで行われる。

今年の文化功労者には、私でも知っている偉い人たちが名を連ねていて嬉しい。

主な受賞者は、市川猿之助王貞治大野和士(指揮者)、水木しげる山中伸弥

そして吉永小百合など17名。

IPS細胞の山中教授は、そう遠くない時期に、ノーベル賞をお取りになるに違いのない、

まだ40代の日本の希望の星であるし、その他の方々の業績も文句の付けようのないものである。


1962年(昭和37年)のまさしく今日11月3日に封切られた日活映画、

石原裕次郎主演の「金門島にかける橋」。

その作品と併映されたのが「ひとりぼっちの二人だが」という舛田利雄の監督作品。

私が生まれてはじめて映画館で見た映画が、この「ひとりぼっちの二人だが」であった。

幼いころから、小学校の講堂や近所の山寺で、

地元の田舎町の商工会や青年団の主催の映画上映会には、よく連れてもらっていたが、

正式に映画館で観る映画はこれが始めてであった、時に小学3年生であった。


その「ひとりぼっちの二人だが」の主演が、当時17歳の吉永小百合であった。

坂本九の歌う「一人ぼっちの二人」という永六輔と中村八大が作った歌をモチーフにした映画で、

当時よくあった歌謡映画と呼ばれる娯楽映画だった。

このとき、吉永小百合という女優をはじめて知った。

浜田光男という俳優ももちろんはじめて知った。

吉永と浜田は、きらきら輝いた宝石の原石のような存在で、

はじめて二人を見た小学3年生にも、そのことは十分に伝わってきた。

その映画のストーリーはまったく覚えていないが、

吉永小百合は、きれいなお姉さんという印象ではなくて、

しっかりものの真面目なお姉さんという印象が強く残った。

私の出会った女優第一号である。


小学3年生にも伝わる演技者の力を、

いまだに私はそのはるか遠きイメージの残り香を嗅ぐことが出来る。

映画作品のなかで、実に存在感のある独特な雰囲気を持つお姉さんだったのだと、

今でも当時の大きなスクリーンのなかの吉永小百合を思い出す。


あれからほぼ半世紀、この女優は常に清らかなままで第一線で活躍している、

お見事の一言である、明日の顕彰式でもお綺麗なのだろうな。