遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

マーラー:交響曲第2番「復活」/ショルティ

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NHKのBS「クラシックミステリー名曲探偵」を鑑賞、

本日は、マーラー交響曲第1番「巨人」が登場。

この番組、クラシックとミステリー・ドラマをからめて、

毎回ひとつの名曲のツボを、私のような素人にも分かりやすく、

でもかなり専門的に解説してくれる、とても優れた親切な番組である。


ベートーベンやチャイコフスキーなどの交響曲には、大きな脈絡というか流れがあり、

楽章が変わってもそれらが著しい変化をすることはない。

だから安心できるというか、安定していて、コンサートでも気持ちよく居眠りできる。

ところが、マーラー交響曲は、それとは異質の、

私たちが持っている交響曲という概念が変わってしまうような、

突然脈絡のない曲想の音楽が出現したりする。


私は、これはごちゃ混ぜ組曲のようだと書いたのだが、

突然にそれまでの流れを変えるような異質な表現を「異化」と言うらしく、

本日の「クラシックミステリー名曲探偵」で、そのことを教わった。


さて、今日の1枚は、マーラー交響曲2番「復活」である。

指揮はゲオルク・ショルティ、演奏はシカゴ交響楽団&合唱団で、

1980年の録音である。演奏時間は81分。


1番と5番は器楽演奏だけなのだが、マーラーの2番3番4番は、合唱が入る。

この2番は、5楽章まであり、異化ももちろんたくさんあらわれてきて、

それでも、5楽章のクライマックスの合唱に至るまで、少しずつ盛り上がっていく。

大編成オーケストラとアルトとソプラノと混声合唱団での交響曲で、

一度生で聴いてみたい一曲である。


ギルバート・キャプラン(1941年 - )というアメリカの実業家は、

マーラーの「復活」だけを指揮する指揮者の顔も持つ。

世界各国のオーケストラに客演をしているが、もちろん「復活」のための客演である。

また、観客にも「復活」オタクがいるようで、聞き分け評論などをする人が、

世界中にいるような気がする。

私の1枚は、1200円のショルティ盤で、ジャケットはマーラー(左)とショルティの横顔。

バーンスタインの指揮する「復活」を観たことがあるが、

なんだか指揮者一人が気持ちよさそうで、こちらはなんだか気持ち悪くて、

それに比べたらショルティのシカゴ盤は、スピーディでありながら、

死してなお人は復活するものだという、荘厳な祈りのテーマは剥落していない1枚である。

ステレオは出来るだけ大音量にして、楽しまれたい。