遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

長谷川等伯 特別展/京都国立博物館

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没後400年 長谷川等伯 特別展覧会 京都国立博物館


5月9日まで開催の長谷川等伯の特別展に、何とか滑り込みで間に合った。

5月5日の朝10時過ぎから、京都国立博物館前の40分待ちの行列に加わった。

いつぞやの、TDLのアトラクションに並んで以来の行列待ち体験。


こういう特別展は圧倒的に女性が多いのだが、

列に並んでいる人たちの年齢男女比を、私なりに統計を取ったら、

老若男女が適度に混じり合っていて、とてもいいバランスの混じり具合だった。

でもやはり、6:4で女性のほうが多かったと思う。


さて、きっかり40分待ちで展示場に入れば、

博物館のスタッフの仕切りが上手で、列の区切り方が上手で、

会場内はさほど混んでいなくて、ゆっくり余裕で等伯の絵画を楽しむことができた。


国宝や重要文化財がこれだけ集まる展示会も、そうそうないだろう。

没後400年を経て、等伯のパワーたるやいまだ衰えず、といった感じであった。


私が長谷川等伯をはっきり意識したのは、そんなに昔ではない、

「日本美術応援団」という素晴らしい文庫を読んだ4年ほど前のこと。
http://blogs.yahoo.co.jp/tosboe51/28555547.html

いつか等伯の「松林図屏風」を観たいという念願がやっと叶ったのである。


この特別展に集められた絵画を提供している出所は、実に多岐にわたる。

殊に、こんなに多くの見たことも聞いたこともない寺院が、

何気なくさらっと、等伯の絵を所有しているのかと驚くばかりである。


等伯は、狩野派などに属さない自由な立場の絵師だった、

しかし、自分で自分をパトロンや世間に売り込むことを、怠らなかったのだろう。

自分で自分をプロデュースしていたのだろう、

生まれ育った能登の七尾や、京の寺社仏閣に実に多くの絵の寄進をしていた。


それがこの特別展で一同に会したのであった。

金箔を惜しげもなくふんだんに使った障壁画も、

間を楽しむ余白ばかりの水墨画も、共に最高峰のレベルで、

しっかりしたパトロンや寺社に所蔵されていたおかげで、

伊藤若冲の作品のように、海外のコレクターに流れて行くことはなかったのである。


五月晴れの京都は、30度を超える大変な暑さであったが、

会場内は、静かな幸せそうな人たちがいっぱいで、

さわやかな風に吹かれているようであった。