幸田文の「流れる」は始まる。
同じく幸田の作品「おとうと」でも経験したことだったが、
冒頭の数行で、ぐいと作品世界に引き込まれてしまう。
かつては、一対の総桑の茶箪笥と、瓶かけ(手あぶり火鉢)と食卓に囲まれた家の、
実際に幸田は置屋で女中奉公をして、この作品を仕上げたという。
それらは、見てくれは体裁を備えているデパート家具だと、幸田文は言い放つ。
総て桑でできた茶箪笥を使っていた自称「しろうと」が、
見えるところにだけ桑の板を張った茶箪笥が置かれてある芸者置屋に寝起きして、
「くろうと」さんの世界を私たちに伝えてくれるのだが、
「文さん、あなたに適うくろうとなど、存在しませんよ」という私の感想、
この作品を通して終始その思いは変わらなかった。
「ちょいと、あの、なんていったっけね、梨花か、…どうもじれったい名だね、女中はこ うすらっとした名のほうがいいんだが。春さん!」けわしく呼びたてられて行ってみると、 笑顔がゆったりと優しいから不思議だ。とっさに気がかわるのか、ああいうじれったい物云 いにこういのどかな顔が飾ってあるのか、一時間か二時間にしかならないくろうと衆の世 界だ、わかるはずはない。とおもうものの、はや梨花の性癖が頭をもちあげていた。-わか らないはずはない、と挑んで行くような気になっているのである。相かわらずどこへ置いて も自分は強いと、ひそかな得意があった。
「失礼だけど、あんた何をした人?……学校の先生じゃなし、なんかの監督さんでもなし、 ……ただの奥さんでもなし。」ただの奥さんだのに、そうではないときめているのがおかし い。「――社長さんの秘書でもないしねえ。」 「なぜでございます?」 「なぜって、女秘書さんどれもみんな私たちより利口で、事務にかけちゃ上手だけど、芸者 が秘書より上手な点は、相手にしゃべらせることができる口まえを持ってることなのよ。 ……私さっきから感心していた。あんた私にさえしゃべるまいとしているものね。ほほほ。」
昭和30年頃、コロッケ1個5円の時代に、3食賄いつきで月2千円という女中奉公、
随分ねぎられた給料であるにも拘らず、
他にはない生身の人間たちの、女たちの暮らし方が面白かったろうと思う。
ほほほと笑う、とうの昔に芸者を辞めたこの世界の重鎮的おかみの寝起きの姿や、
子どもに翻弄され崩れ落ちるように倒れる置屋の女主人の姿に、
その道のプロだなという仕草を見て取り、見事に描き出す幸田の文章に、
女の嫉妬にも似た感情が湧き立つのを私は感じた。
幸田文、こういう何でもお見通しの女性とお付き合いしたくないし、
上司でも部下でもいやだし、姑などとんでもないし、
たまにやって来る親戚のおばさんでも耐えられない。
赤の他人で、でも、素晴らしい物書き、小説家でよかったと心底思う。
女が見た女が、実に生き生きとどろどろと気品のある文体で描かれていて、
陽光うららかなある休日に、私は無音のなかでこの世界に耽(ふけ)っていた、
つかの間の幸せと呼べる時間であった。