遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

犬の力/ドン・ウィンズロウ

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 犬の力 (上・下)  ドン・ウィンズロウ  東江 一紀 (訳) (角川文庫)


NHKの朝ドラのように、そこそこの好人物ばかり出てきても、

小説は面白くならない。

ドン・ウィンズロウの「犬の力」は、

米国とメキシコの国境線を行きかうコカインを巡って、

米国麻薬取締局(DEA)の捜査官、アート・ケラーと、

メキシコギャングとアイルランド系ギャングとの、

壮絶な戦いを描いた、物理的にも精神的にもずしりと重いノワール小説である。


「犬の力」とは旧約聖書にでてくる言葉で、

民を苦しめ、いたぶる悪の象徴という意味合いで使われている。

その犬の力から解き放たれるために、「自分の道は自分で拓かねばならない」のである。


登場人物はみな札付きの狼藉者ばかりだが、

どれほどのワルなのかは、ネタバレになるので記せない。

ただ、主人公のアートのほかに、2人の魅力的な人物が登場する。

高級娼婦でありながら、愛する枢機卿のしもべとして、

福祉活動を精力的にこなす絶世の美女ノーラと、

彼女が仕えるジャズを愛する枢機卿ファン・バラーダ。

金髪の美女ノーラには、読者も虜になっていくこと間違いなし。


この、同じ屋根の下に暮らす、神に仕える司祭と高級娼館を本拠地とする若き美女、

この年の離れた2人の純愛関係が、血みどろ抗争と平行するストーリーとなり、

大きな2本立ての筋書きが、やがてひとつの糸のように縒(よ)り合わされる。

後半の息をもつかせぬ「縒られていく糸」のようすが面白くて、一気に読ませてくれる。

   なぜなら、生きたいからだ。今、その思いは、これまでになく強く、これまでになく切

  迫している。人生はすばらしく、空気はかぐわしいという思い。まだやり残したこと、や

  りたいことがありすぎるほどある。あの死にかけている若者のところへ行き、まだ息のあ

  るうちに、その魂を慰めたい。もっとジャズを聴きたい。ノーラの笑顔を見たい。もう一

  本煙草を吸いたいし、もう一度うまいものを食べたい。神の前にひざまずき、甘く優しい

  祈りを捧げたい。



ワシントン条約を盾に、クロマグロの捕獲や輸出入取引に制限をかけようとした、

今般の欧米の目論見は大いにはずれた結果になったが、

コカインやヘロインや覚せい剤大麻などの国境を超えての流動性は、

衰えることを知らないのではないだろうか。

それらに異議を唱えれば、身の安全が保証されないことになってしまうのだろうか。


この物語は、あるメキシコギャング一団が、それまで扱っていた阿片や大麻から、

コカインを自分たちのビジネスの中心に置いたときからはじまった

1975年から2004年までの、暗黒小説である。

ドン・ウィンズロウの描いた世界は、「真実は小説よりも奇なり」なのかもしれない、

そんな世界には、近づかないことにする。