遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

ノブレス・オブリージュ/貴乃花親方

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ノブレス・オブリージュという概念をご存知だろうか。

最近では主に富裕者、有名人、権力者が社会の模範となるように振る舞うべき

だという社会的責任に関して用いられる。

この言葉の意味する概念自体は、新約聖書福音書に由来していて、

「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、

更に多く要求される。」という立派な教えである。


それ相応の地位にいるものは、それ相応のことを行なうのがあたりまえなのに、

それ相応のインカムを頂戴するものだから、いつまでもそれを守り続けるために、

何もしないことを決め込む。

どのこ世界にもそういう義務を果たさないものがほとんどを占めている。


貴乃花親方は、ノブレス・オブリージュを実践しようと試みたのかどうか、

それは分らないが、相撲協会理事に奇跡の当選を果たしたことは意味のあることだ。

彼が何をやりたいのか、本当のところはよくわからないが、

内館牧子が横審を辞めてほっとしていた相撲協会は、

もっと厄介な革命児を内包することになったのかもしれない。


立浪一門なのに、貴乃花に一票を投じた安治川親方は、

角界を去る意向を撤回したようで、

彼を擁護する親方も現れてきたようである。

改革の方向に流れが変わってきたのだろうか。


それにしても、二子山親方(初代若乃花)系列の力士の錚々たることに、

いまさらながら感心する。

これで三代目の若乃花(おにいちゃん)が角界に残っていたら、

二子山の流れを汲む一団は、若き最強親方衆としてもっと早くに、

角界に改革の新風を吹き込んでいただろうにと思う。


亡くなった初代貴乃花は、弟子のしつけは厳しかったようで、

後輩をあごで使うような先輩には鉄拳が飛んだと聞く。

若貴という自分の子どもを部屋に抱えていたので、そんな運営になったのかもしれないが、

平等で民主的な部屋の運営で、

勝負以外に気を使わなくてもいい環境作りをうまく行なったと思う。

それが証拠に、立派な力士たちをたくさん排出したのではないだろうか。


まもなく、朝青龍の不祥事に関する何らかの動きがあるようだが、

彼がまだ二十代の若者であることに、唖然とする。

本人の自覚が足りないことがもっとも嘆かわしいのだが、

横綱といってもまだ若い青年、まだまだ協会や親方のしつけも必要なのに、

手をこまねいているだけである。


私は、番付に外国人が並んでいても、

彼らの強さを認めているので別に気にしないが、

貴乃花のような強い日本の横綱を、もう一度見てみたいと思う一人でもある。