遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

まぼろしの翼と共に/五つの赤い風船

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昨夜のNHKスペシャル「真珠湾の謎~悲劇の特殊潜航艇」より。


画像は、真珠湾攻撃の後、オアフ島に流れ着いた「甲標的」と呼ばれた、

日本軍の特殊潜航艇である。

この潜航艇は、2人乗りで、1941年12月8日の真珠湾攻撃に際して、

5隻が奇襲作戦にひそかに加わった。

潜航艇に搭乗した10人は、太平洋戦争の最初の特攻隊であった。

甲標的は、魚雷を2発搭載したもので、「回天」のような人間魚雷ではなかった。

したがって、帰還を可能に作られたミニ潜水艦であった。


真珠湾の奇襲は、制空を果たし米国の戦艦などに多大の被害を与えたが、

母潜水艦から切り離されて、独自に戦いを挑んだミニ潜水艦甲標的は、

操舵がうまく行かず、総て還らぬこととなった。

そのうちの一隻だけは、オアフ島座礁し、

乗っていた2人のうちの一人酒巻和男は、

太平洋戦争での日本人捕虜第1号となった。


特殊潜航艇で出撃した10人のうち、酒巻を除く九人は還らぬ人となった。

彼らが、世に有名な、国のためには命も惜しまない勇猛果敢な九軍神である。

軍部はこの九人を「軍神」として、戦意高揚のシンボルとして奉ったのだった。


一方、オアフで座礁した潜航艇は、解体調査の後組み立てられ、

「東條の葉巻」の名で全米を巡り、戦争のための国債を売るのに利用された。


日米双方で、特殊潜航艇を利用したプロパガンダが行われていた。


戦争も後半になって、飛行機で敵艦に突っ込んでいった特攻隊が有名だが、

実は開戦時にすでに特殊攻撃隊は、

20代の独身で、好戦的な10人で編成されていたのであった。


真珠湾に散った九軍神は、終戦まで利用され続けたのであろう、

九軍神のエピソードも、悲劇の特殊潜航艇の存在も、

不覚にも、昨日まで私は知らなかった。




まぼろしの翼とともに 五つの赤い風船
こちらは戦争末期の飛行機で出撃した特攻隊を悼む歌