遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

夜は短し歩けよ乙女/森見 登美彦

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夜は短し歩けよ乙女   森見 登美彦    (角川文庫)


よい小説だった。

読了後、羽海野チカの解説を読み、又冒頭に戻ってしばらく読み耽ってしまった。


主人公は、大学1回生の黒髪のショートカットが凛々しい乙女と、

その彼女を恋い慕う同じ大学のクラブの先輩男子。


主人公ふたりの名前は最後まで明かされなくて、

二人が交互に一人称で物語を語るという構成で、

主人公二人を取り巻く、私なら敬遠したくなる個性豊かな人たちが、

不思議な街京都で繰り広げる、面白い出来事がふんだんなファンタジーである。


黒髪の乙女は、心優しいとてもいい女子で、私は彼女が登場してすぐ好きになった。

若くて賢くて美しいのだけれど、擦れていなくて、語り口調がやわらかくて、

「いのち短し 恋せよ少女(おとめ)」と、

励ましたくなる美少女である。

彼女は、目の前に出現する個性豊かな変人たちを、決して敬遠などしない、

感心なお嬢さんで、私はずっと彼女に想像で着物を着せていて、

出身は松山と、これまた勝手に想像して決めていた。


春の木屋町から先斗町界隈で、夏は下鴨神社糺の森の古本市で、

秋は京大キャンパスの学園祭で、冬は流感が猛威を振るう京都の街なかで、

京の四季を、彼女と彼女に恋焦がれる先輩が「すれ違い」の物語を展開する、

黒髪の乙女がすこしばかり純粋なだけの、僅かなすれ違いだからたいしたことはない。



  「ただ生きているだけでよろしい」

   李白さんはそんなことを言ったように思われました。「美味しく酒を飲めばよろしい。

  一杯一杯又一杯」

  「李白さんはお幸せですか」

  「無論」
 
  「それはたいへん嬉しいことです」
 
   李白さんは莞爾と笑い、小さく一言囁きました。

  「夜は短し、歩けよ乙女」


ここは、黒髪の乙女の一人称部分、

登場人物中最年長老人李白爺さんと黒髪の乙女の会話である、

京都の先斗町の春の宵らしく、哲学的で華やかでなまめかしい。



   彼女の形をとって古本市に降り立った薔薇色の未来が遠ざかる。

   彼女は文庫本を手にして無闇に熱心に読んでいる。本を読んでいる姿が魅力的なのは、

  その本に惚れ込んでいるからに違いない。恋する乙女は美しいという。しかし薄汚い古本

  風情が彼女をたぶらかして、いったいどうするつもりであろう。古紙のくせに、と私は憤

  った。


一方こちらは、先輩の方の一人称部分で、

夏の古本市で彼女を見かけたが、声をかけることもできず、

自分は「薄汚い古本」以下なのかと、夏の太陽のように熱いお莫迦な妬みを、

「古紙」にいだく。

50も半ばのいまなら私は嗤ってしまうが、彼の頃にはそんなものだったと懐かしい。


繊細で細やかな男子と大らかで自由な女子、

この設定は、漱石の時代から変わらない設定で、違和感はなく、

面白い小道具と仕掛けも楽しい恋愛小説なのである。


繰り返すが、私は黒髪の乙女の虜になってしまった、いい女子を作者は創作した。


この作品は、山本周五郎賞を受賞し、本屋大賞2位にも選ばれた、

まったく異論はない、逸品である。