遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

水がなければ地球ははじまらない

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画像は、安曇野を流れる美しい小川である。(撮れたて画像)

唱歌「春の小川」のモデルとなった小川は、安曇野のようなところを流れている川だと連想していたら、

なんと、東京は渋谷を流れていて、いまや汚染のため道路下の地下に、

蓋をされ閉じ込められた状態で、さらさら流れていると聞く。



かなり前に話題になった知る人ぞ知るお話。

牛丼一杯を作るのに、使われた水はどれくらいの量か。


せいぜい、ご飯を炊くのに使われたわずかの水、でも正解だろうが、

そうではなくて、牛丼の材料を作るのに水はどれくらい必要だったかという問い。


たとえば、白米が成長して収穫されるまで使われた水の量や、

肉牛が牛肉になるまでに必要であった水の総量はどれくらいか、という問題なのである。



正解は、牛丼一杯を作るのに使われた水は1890リットルである。

これは、浴槽の水で換算すると約10杯分に相当する。



たとえば、白米を1トン生産するのに、水が3600トン必要なのだそうである。

同じく、大麦・裸麦で2600トン、大豆で2500トン、

小麦で2000トン、とうもろこしで1900トンもの水が必要なのだ。



これが、家畜などになると必要となる水の量は桁がひとつ上がる。

家畜は農産物などをベースとした飼料を大量に消費する、

なので、その飼料が育つのに必要な水が加算されて、

とてつもなく大量の水を消費して、牛肉や豚肉が生産されるという図式になる。

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牛(正肉)を1トン生産するのに水2万トン必要である。

再度書くが、牛肉1トンに対して水20000トン!!である。

同じく、豚(正肉)で5900トン、鶏(正肉)で4500トン

鶏卵で3200トンもの水が消費される。



では、少し角度を変えて、日本は「水」をどれくらい輸入しているのだろうかという問題。

これも、ペットボトルに入った水というイメージではなく、

輸入した飼料や穀類や食肉、これらを育てるのに消費した水を輸入している、

というイメージで捉えていただきたい。

これを「仮想水」と呼ぶようだが、日本国内で育てた農産物や家畜なら、

国内の水が費消されていたはずだが、本来必要だったはずの水を輸入しているという発想で捉えるのである。



2000年のデータで、日本国内の年間灌漑用水使用量は590億トンである、

一方、仮想水の総輸入量は、640億トンである。

内わけは、農作物404億トン、畜産223億トン、工業製品12.8億トンである。


人類の食糧を生産するのに、使われて汚れる水の量は、想像を絶する。

繰り返すが、

わが国の国内の年間灌漑用水使用量590億トン + 輸入する仮想水の年間総量640億トンである。


食糧自給率が40%であるというデータからも、実際に国内で使っている水の量よりも、

海外で育てた農産物や家畜に使った水のほうが多いのも、頷ける結果である。



もし、食糧自給率が上がれば、めでたいと思う反面、一方で水の心配が頭をもたげる。

日本人が一日に使う水の量は250リットルで、風呂とトイレがその半分を占めているようである。

で、牛丼を1杯食べると、1890リットル仮想水を使っているのである。


水は、地球の中で循環していて、なくなることはない、

しかし、いつまでもきれいなままで循環し続けるのだろうかと、とても心配になってくる。

その循環している水を汚しているのは人類で、

汚した水を人工的にきれいにして自然に帰しているのも人類である。

それが追いつかなくなる日が、近い将来やってくるのではないだろうかと心配になる。

もしかすると、すでに浄化が汚染に追いつかなくなっているのかもしれない、のである。


(データはこのサイトに依った。
                『世界の水危機、日本の水問題』
              東京大学生産技術研究所  教授 沖 大幹
              http://hydro.iis.u-tokyo.ac.jp/Info/Press200207/#VW  )