遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

怒りの葡萄/ジョン・フォード

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怒りの葡萄 The Grapes of Wrath 1939年



この映画は、おそらく世界中の映画監督に影響を与えたことと思う。

ジョン・フォードは、アカデミー監督賞を獲得したが、

もしこの作品が、1950年に制作されていたとしたら、

文句なく作品賞にも輝いたであろう。

1940年のアメリカでは、あまりにも身近な問題で厳しい内容だったからである。


アカデミー賞の華々しい舞台でもある、カリフォルニア。

その夢のカリフォルニアを目指して、1930年から40年代、

オクラホマなどの貧しい農民たちは、大移動を余儀なくされていた。

砂嵐が吹き荒れる大干ばつ地帯では、農業が立ち行かなくなり、

弱き立場の小作農たちは、農業をあきらめた地主たちに追い払われるように、

ルート66を西へ西へ大移動していたのである。

行き着く先には、貧しき中西部の農民たちの聖地、夢のカリフォルニアが待っているはずなのである。


しかし、夢を追いかけていた彼らがたどり着くのは、

ここはアメリカなのかと目を疑いたくなるような、キャンプである、

まさに難民キャンプなのである。


そんな貧しき農民家族を描いたのが、作家ジョン・スタインベック

怒りの葡萄」は、1939年、彼が37歳のときに出版されている。


を撮り終えたばかりの当時45歳のジョン・フォードは、

間髪をいれずこの作品の映画化権を取得した。


この作品でのジョン・フォードは、手だれたドキュメンタリー作家のように振舞った。

貧しき農民家族(ジョード家)のオクラホマからカリフォルニアまでの移動の軌跡を、

静かに記録し続けた。

まるで、イタリアのネオリアリズム作品を見ているような錯覚に陥る。

私は、フェリーニやデ・シーカやヴィスコンティロッセリーニは、

この作品をいつも心のどこかに仕舞いこんでいたような気がするのである。

アメリカの闇を淡々と描く、このフォードの高き精神性に感服する。


主演は、ヘンリー・フォンダ(34歳)。

フォード監督との3部作で彼が演じた主人公、

怒りの葡萄」のトム・ジョード、

荒野の決闘 My Darling Clementine (1946)」のワイアット・アープ、
http://blogs.yahoo.co.jp/tosboe51/12750100.html

「ミスタア・ロバーツ Mister Roberts (1955)」のダグ・ロバーツ。

こういう映画をきちんと観ないから、

ちまたの男たちはくだらないステレオタイプになっていく気がするのだが、

ともあれ、この静かで気品のある3人を、人々は死ぬまで忘れないであろう。


若い頃、原書講読で読まされた、サリナス渓谷の自然とそこに暮らす人々を描いた、

スタインベックの短編小説が、今大変懐かしくよみがえるのである。


ジョード一家はサリナス渓谷で、葡萄畑を持つことが出来たのだろうか、

カリフォルニアは約束の地だったのだろうか、

今でも気になることのひとつである。