遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

羅生門・鼻/芥川龍之介

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昨日は河童忌、1927年7月24日、

芥川龍之介は、睡眠薬で自殺を遂げている、享年36歳(満35歳)の若さであった。


羅生門」「鼻」「芋粥」は、芥川を代表する作品で、

小説というか、歴史エッセイのような雰囲気もある。

『今昔物語』や『宇治拾遺物語』を原典とするこれらの短編集は、

平安時代の京都にタイムスリップもできる。


平安京の郊外の地名、今にも伝わる京都や宇治や滋賀の地名、

山科(やましな)や粟田口(あわたぐち)や池の尾や高島などが出てきて、

不思議な感覚にとらわれる。


平安京の中心を貫く大通りが朱雀大路で、

その大路の南の終端が羅生門(羅城門)で、

羅生門の東に東寺、西に西寺が配置されていた。

風水で作られたというこの都ができた当時に、

ぜひ私は行ってみたいと、タイムマシーンにお願いしている。


これらの作品を読んで、登場人物を観察してみると、

人間の根源なる、欲や罪や世間体などが、

延々と変わることなく私たちの心の深淵部に息づいていて、

1千年を超えても、人はなんら変わることなく生死を繰り返し今に至っているんだと、

いまさらながら思い知らされることになる。


暇を出され、途方にくれた雨の中、「羅生門」で雨をしのいでいる下人。

獏のように垂れ下がった大きな「鼻」が、悩みの種である坊さん禅智内供(ぜんちないぐ)。

めったに口にできないご馳走の「芋粥」を、飽きるほど食べてみたいと夢見る下級武士五位。


彼ら3人に小さな事件が起き、大きな心の変化が出てくるのだが、

その人生を変えるほどの大きな心の変化を、

原典とは少し角度を変えた形で、格調のある口語体で龍之介が語ってくれる。

格調は高いが平易な文章で、ちっとも偉ぶったところがない。

偉ぶったところがないところが、本当に偉い人の特徴なのかもしれない。


1千年後に、今の日本の何が残っているのだろうか、と思いをはせると、

なんだか心許ないのである。


国土の半分くらいは水没してるだろうか、

京都盆地は湖になっているかもしれないな~。