ベルナール・イノーやローラン・フィニョンが大活躍した1980年代には、
生放送ではなかったと思うが、NHKでよく観ていた。
総合優勝に最も近い選手が着用している黄色いジャージを、
マイヨ・ジョーヌというが、その頃にこの言葉を覚えた。
さらに、このツールの人気度と、コースの多様性と、
総合優勝がいかに偉業かということを知ったのもこの頃である。
今年のツール・ド・フランスは21ステージ3500kmを走破するレースで、
最終日の7月26日にパリで最終ゴールを迎える。
1チーム9人の編成で20チームが出場、
したがってスタート・ラインについた選手は180人ということになる。
現時点で、最も優れた調子のよい自転車乗りが、地球の各地から参戦している。
今年は、13年ぶりに日本人が出場し、しかも2人がスタートラインにつけたのである。
その若き挑戦者たちである。
本日は、大会2日目の第2ステージで、モナコを出発して灼熱の南仏を、
180km走行する一日であった。
風向明媚な南フランスを行く、統制のとれた180人の集団は、とても美しい。
俯瞰で見る彼らは、さらに一段と美しい。
そこで、唐突に問題、
今日のステージ前半、
4人の選手が大集団から抜け出していて、ゴールまで残り140kmというときに、
その4人のうち一人の選手の自転車のチェーンがはずれてしまった。
当然その選手はスロー・ダウンを余儀なくされたのだが、
では残りの3選手の取った行動はいかなるものだったか。
A.ライバルが脱落したのだから、ここがチャンスとばかり、3人ですっ飛ばして行った。
B.脱落した選手が、チェーンをはめ直して追いついてくるのを3人でゆっくり待った。
正解は「B」。
自転車競技は、一人で走ると風の抵抗を受けてすぐバテてしまうので、
複数人数で先頭を交代しながら走ると、効率のいいレース運びができる。
したがって、3人で残り140kmを交代で走る選択より、
4人で集団を維持していく方が先行き楽なので、
すぐ復帰してくる選手を待っていたのであった。
ただこの麗しい4人は、ゴールまで残り10kmあたりで力尽きて、
第2集団の大選手団に結果的には飲み込まれてしまった。
さて、第2ステージの、ゴールまで残り3kmのラストスパートには、
新城と別府の両日本選手は、脱落せずにしっかり参加していて、
そして、なんと新城選手は5位入賞!!!という快挙を打ち立てたのである。
まだ始まったばかりで、暑すぎた一日ということを割り引いても、
新城選手(沖縄出身)は素晴らしいレース運びであった。
何とかもう少し長く頑張って、今年の夏を楽しませて欲しいところである。
別府選手にも頑張って欲しい。