遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

ミナマタ/ユージン・スミス

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先日、米国のピアノコンクールで優勝した辻井伸行

全盲の彼は「一度だけ目が開くならお母さんの顔が見たい」とかつて口にしたそうだ。



そのエピソードを目にして思い出したことがあった。


遠い昔のこと、

フジTV「3時のあなた」に出演していた水俣病の娘を持つ母親。

妊娠中に水俣湾の魚を食べ、胎内に蓄積した有機水銀により、

生まれた娘さんは生後数日後から痙攣(けいれん)をおこす。

娘さんはほぼ植物状態で、20年近く介護を続けているその母親が番組内で言った、

「私は何も要りません、娘に元気になってらってお母さんと呼んでもらいたい」。


そのあと、スタジオの井村千鶴子に生コマーシャルが振られる。

井村は生放送のコマーシャル中、一言も発せないままだった、

その前のミナマタの母親の言葉に揺さぶられ、嗚咽するだけだった。


画像は、ユージン・スミス撮影の

「ミナマタ Tomoko Uemura in Her Bath」(1971年)。

その母娘の永遠の1枚である。


この少女が亡くなって30年以上の歳月が流れる。

私は、あのときの「3時のあなたの」井村さんも、

この写真も、この母親の言葉も終生忘れることはない。


写真集『水俣』英語版の序文 
「これは客観的な本ではない。ジャーナリズムのしきたりからまず取りのぞきたい言葉は『客観的』という言葉だ。そうすれば、出版の『自由』は真実に大きく近づくことになるだろう。そしてたぶん『自由』は取りのぞくべき二番目の言葉だ。この二つの歪曲から解き放たれたジャーナリスト写真家が、そのほんものの責任に取りかかることができる」