そもそも天才肌であったが、ラスコーの壁画のデザイン的な動物画や、
ブリューゲルの風景画など、若い頃には洋の東西を問わずさまざまなものに影響を受け、
試行錯誤を繰り返している。
絵画や版画はもとより、陶器や宝飾品や着物の絵柄や意匠など、
何にでも精力的に取り組んだ。
まさに留まるところを知らないというのは、加山のような作家を言うのであろう。
親友であり、最大のライバルであった横山操(1920-1973)とともに、
日本画壇を引っ張ってきた。
横山亡き後、彼が逝った年齢に達した加山は、横山が得意とした水墨画に、
こころざし半ばで亡くなった横山の遺志を引き継ぐが如く、
水墨画に没頭するようになる。
制作する道具に拘泥しなかった加山は、
たとえば、エアーブラシをためらいもなく使用した。
彼のアトリエには、日本画家のそれとは見まごうほどの、
多様な道具類がいまも遺されている。
遊び心と好奇心は関西気質、
加山は孫に、周りの人と同じことしないようにと、
微笑み顔で常に言い含めていたという。
少し分りにくいが、画像の5作品の多様な個性をご覧あれ。
祈るように、ひと筆ずつ織られたような作品から、
又造の永遠の息遣いが聞こえてくるようで、
その場を立ち去り難かった。