遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

加山又造展/高松市美術館

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今日まで開催の加山又造展、高松市美術館で昨日鑑賞。


加山又造(1927-2004)は、西陣織の絵師を父親にもつ現代版の尾形光琳

そもそも天才肌であったが、ラスコーの壁画のデザイン的な動物画や、

ブリューゲルの風景画など、若い頃には洋の東西を問わずさまざまなものに影響を受け、

試行錯誤を繰り返している。



絵画や版画はもとより、陶器や宝飾品や着物の絵柄や意匠など、

何にでも精力的に取り組んだ。

まさに留まるところを知らないというのは、加山のような作家を言うのであろう。

親友であり、最大のライバルであった横山操(1920-1973)とともに、

日本画壇を引っ張ってきた。


横山亡き後、彼が逝った年齢に達した加山は、横山が得意とした水墨画に、

こころざし半ばで亡くなった横山の遺志を引き継ぐが如く、

水墨画に没頭するようになる。


制作する道具に拘泥しなかった加山は、

たとえば、エアーブラシをためらいもなく使用した。

彼のアトリエには、日本画家のそれとは見まごうほどの、

多様な道具類がいまも遺されている。


遊び心と好奇心は関西気質、

加山は孫に、周りの人と同じことしないようにと、

微笑み顔で常に言い含めていたという。


少し分りにくいが、画像の5作品の多様な個性をご覧あれ。


祈るように、ひと筆ずつ織られたような作品から、

又造の永遠の息遣いが聞こえてくるようで、

その場を立ち去り難かった。