遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

フロスト気質/R.D. ウィングフィールド

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フロスト気質  上・下  R.D. ウィングフィールド , 芹澤 恵 (翻訳) 創元推理文庫



本作は、「クリスマスのフロスト」(1994年) 
http://blogs.yahoo.co.jp/tosboe51/18331689.html

「フロスト日和」(1997年)、「夜のフロスト](2001年)に続く、

フロスト長編シリーズ第4弾。(ほかに「夜明けのフロスト」という短編作品あり)


実に7年ぶりに翻訳された作品である。

この間、作者のR.D. ウィングフィールドは故人になり、

フロストシリーズの未訳は残り2作品だという。


英国の名警部、

コリン・デクスターの艶やかなモース警部と、
(「キドリントンから消えた娘」 http://blogs.yahoo.co.jp/tosboe51/31084122.html
「森を抜ける道」 http://blogs.yahoo.co.jp/tosboe51/39296762.html )

R.D. ウィングフィールドフロスト警部は対極に位置する、

でも魅力あることに変わりはない。



「フロスト気質(かたぎ)」は例によって、いくつかの事件がからみあって進行していく。

どれもこれも、フロスト警部のところでからんでいくのだが、

そうこなくちゃ、この物語(シリーズ)は成り立たないところが愉快である。


休暇中のフロストは、ほんのお手伝いのつもりで事件現場にやってきて、

恋人を待たしている休暇に戻るつもりだった。

奥さんに先立たれて、休暇中にデートできる相手がいるところが立派なのだが、

そのデートもすっぽかしてしまうほど、事件にのめりこんでしまうところも、

この警部の素晴らしいところなのである。


もっとも、いつもこの警察署は人材不足で、

小汚くて下品で行き当たりばったりのいい加減さであるのもかかわらず、

有能なのはフロスト警部ただ一人で、彼がいないと求心力を失ってしまう。

その温かい心と鋭い勘と寝る間も惜しまない行動力が、

いつのまにかぎくしゃくと全署員を引張って行ってることになるところがなんとも麗しい。


判断力のまったくない莫迦な署長(このシリーズのレギュラー登場者である)や、

行為のすべてを「出世」に結び付けようとする部長刑事や、

「張り切り嬢ちゃん」と呼ばれる心に傷持つ女性部長刑事や、

上品に慎ましやかに暮らしているのに、大胆な趣味を持つ姉妹や、

顔を付き合わせれば大喧嘩をしているくせに、決して別れない夫婦や、

母親以外の女と実に楽しそうに暮らしている父親を許せない娘などが、

例によって賑々しくこんがらがって、読み手を楽しませてくれる。


フロストの周辺には、上に書いたように間抜けな署長以下、

古今東西どこにでもいるような人たちが、入れ替わり立ち代り登場する。

しかし、フロストのような人物は残念ながら現実にはそう多くはいない。


フロストの行為のすべてが「正義」に結びつけられるのだけれど、

当の本人はいたって普通に職務に忠実なだけであって、

彼のもっとも良い理解者は、私たち読み手であることが、

フィクションの世界だからどうでもいいことなのに、残念なことなのである。

もっとフロストを称え賞賛してあげてほしいと、作者に告げたくとも、

今は叶わないことになってしまった。


フロストのような涙が出るほどの好人物に会えるのなら、

上下2冊に時間を注ぎこんでも、後悔しない人生なのではなかろうかと、

雨後の五月の空の下、休日の朝に抱いた感想である。