遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

祝1500勝/野村克也

イメージ 1

弱いチームを引き受けて、

嫌味たっぷりに選手をいたぶり続け、

野村イズムを無理やり押し付け、

なんとか勝ちを拾って積み上げた1500勝。


弱いチーム、戦力の整わないチームを率いてきたから、

負け数は1506と勝ち数を上回る、

でもまもなく勝ち数がそれを上回るだろう。


野村が阪神タイガースの監督に就任したとき、

これでわが球団もやっと一人前のチームに変身できると私は喜んだ。

あれから阪神は、時間がかかったがたしかに強くなった。


キャッチャーの矢野が、

いまの自分があるのは野村監督のおかげだと言う。


守備の要のキャッチャーが優れているチームは、

かなりの確率で、勝つことができると思う。

野村の現役選手時代の南海ホークスが、

そのことを物語っている。


私が小学生の頃、岸和田の叔母のところへ向かう途中、

偶然、ナンバ球場に入っていく、白いサンダーバードを運転した、

現役時代の野村克也を目の前で見たことがある。

田舎の少年には、まばゆいばかりのセレブな光景であった。


当時の常勝南海ホークスは、

鶴岡一人の監督勝利数歴代1位の1773勝で想像できるように、

阪神タイガース以上の人気チームであった。

野村はそのチームの不動の4番バッターで、

なぜか嫌われ続けた鶴岡監督に、そのバットとミットで貢献し続け、

日本球界の、長島や王に続くスター選手であった。


阪神と南海のファンだった私には、

村山、小山、吉田以上に、野村克也はスター的存在であった。


もうかれこれ50年近く選手として監督として彼を見ているが、

名選手は必ずしも名監督にあらず、という定説は彼には当てはまらない。


もっと長く監督を続け、仙台の杜を沸かせてほしいものだ、

差し当たり今年の胴上げも夢ではなくなってきた。


とりあえず、祝1500勝。

(画像は、野村を挟んで、右が中西太、左が山内一弘パリーグのホームラン王の揃い踏み。)