遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

地下鉄のザジ/ルイ・マル

イメージ 1

 映画に起承転結のあるストーリー性だけを求めるならこの映画は観ないほうがいい、時間の無駄である。
 「地下鉄のザジ」(1960年のフランス映画)を喜劇とかドタバタ劇とかカルト性のある映画とおっしゃる向きもあるが、私はどれも的を射ていないと思う。お暇な方は自分で確かめて欲しい。くれぐれも「お暇な方」に観て頂きたい。

 ルイ・マルといえば監督デビュー作品の「死刑台のエレベーター」が超有名である。こちらはきちんとストーリーがあるし、音楽はマイルス・デイビスだし、ジャンヌ・モローは美しいし、こちらもお奨めである。同じ監督の作品とは思えないけどね。

 私が思うに、そもそも映画に、物語性が「必ず要る」ものでもないだろう。つまり、あってもなくてもいい。それが映画。
 脚本や音楽や色や光や影などで映画芸術が成り立っていて、それらの要素をどのように表現するかが、作り手の腕の見せ所であり、観る側もそれを楽しめばいいわけである。
 
 もちろん、美しい景色に美しい俳優を配して感動的なラストエンドで締めくくることも映画的要素であるけれど、それだけではないことも想定していないと、「なんじゃこの映画」ってなことになる。
 分かりやすいことが映画の真髄ではない。演劇も然り。文学も、音楽も、絵画も、人間も然り。
 
 文明には普遍性があるが、文化はそうじゃない。文化・芸術というものは、古今東西、概して「なんじゃこりゃ」状態である。多様性があり万人に認められるものはごく稀なのかもしれない。こうなると、「好き」か「嫌い」の世界であるのだが、私は「好き」のストライクゾーンがとっても広い。ワンバウンドの球でも振りにいくのだ。あれも好きこれも好き。 

 ハリウッド製の映画しか観たことのない人には、「地下鉄のザジ」と出会えば「なんじゃこりゃ」になるであろう。それはそれで、新鮮な出会いだと私は思う。
 
 「好き」のストライクゾーンが広いほど、人生は楽しい。


この映画の採点=☆☆☆★★★
双葉十三郎のぼくの採点表より ☆=20点 ★=5点 但し☆☆☆☆★★以上はない)