ギャング・オブ・ニューヨーク Gangs of New York 2002年
最初、ニューヨークに植民したのはオランダ人だったことはよく知られている。 かれらは、一六二一年、アメリカ開拓を目的とした西インド会社をつくり、二六年にマン ハッタン島をインディアンから買いとった。 (中略) オランダの西インド会社の代表がこのあたりに上陸し、イ ンディアンの代表からマンハッタン島を買ったのである。買い値は、たった六〇ギルダーだ った。 そのころ、オランダ本国ではライデン大学とその周辺の町がすでに建国済みで、そのとき の道路舗装につかった石くれが一ギルダーだった。そのことは、ライデンの市役所でたしか めた。オランダには石がないため、スイスなどから輸入した。大きさは赤ちゃんの頭ほどで ある。 だから、マンハッタン島の買い値は、ライデンの石くれ六十個ぶんということになる。 司馬遼太郎 「街道をゆく ニューヨーク散歩」より
それから200年経った1800年代半ばのニューヨークのギャングたちを、
マーティン・スコセッシが描いた。
200年も経って、ニューヨークではまだこんなことやっていたのかと、
なんだか可笑しくなってくる。
親の仇がダニエル・デイ=ルイス。
新大陸の主流は、ワスプ(WASP:White Anglo-Saxon Protestant)で、
米国への初期の入植者の子孫で、
新大陸の「ネイティブ」のつもりであった、
いまもそのつもりであろう。
そのネイティブ一派を率いるのが、 ダニエル・デイ=ルイス。
「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」で、
今年のアカデミー賞の主演男優賞をとったばかり、
「マイ・レフトフット」(1989)に次ぐ2回目の受賞であった。
この、ダニエル・デイ=ルイスがすごくって、
善人に見えるくらいである。
可笑しくなるくらいもの凄い。
この俳優は、どの映画で見てもいつも個性的で、
スコセッシでなくとも、誰が演出しようと素晴らしい。
かつて彼をはじめてみた「ラスト・オブ・モヒカン」以来、
私の見方は変わっていない。
スコセッシのルーツであるイタリア系移民はまだ、
この時代には新大陸にはやって来ていない。
したがって、禁酒法時代のギャングとは、時代がまったく違う、
ナイフや手斧で決闘するドタバタ・ギャングたちのお話である。
石くれ六十個分でくれてやった真のネイティブたちは、
マンハッタンが血に染まるのを見て、
どんな思いだったろうか。