遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

東京オリンピック/市川崑

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偶然だが、村上春樹の「シドニー!」のオリンピックへの視点は、

映画「東京オリンピック」の市川崑の視線と同じだと思う、

という記事を書いた2日後、

市川は帰らぬ人となった。


東京三部作は、



と「東京オリンピック市川崑」である、

たった今私が独断で「東京三部作」と命名した。


市川作品のなかで、

私のベスト1は、「東京オリンピック」である。



1964年(昭和39年)、

少年だった私には忘れえぬ時代となった。

映画は、冒頭、変わりゆく東京を、

伝えていた。


何ヶ月にもわたる、アテネからの聖火リレーを、

淡々と伝えていた。

スクリーンいっぱいに拡がる富士の裾野を行く、

聖火の煙たなびくシーンは、殊に印象的であった。



体操のベラ・チャスラフスカ、遠藤幸雄、


ラソンアベベ・ビキラ、

陸上100メートルのボブ・ヘイズ、

ボクシングのジョー・フレイジャー

女子バレーボールの東洋の魔女たち、

彼らスーパースターをクローズアップするのみならず、

市川は名もなきアスリートを追いかけもした。


途上国からやってきた若き陸上選手の、

競技期間中の東京での孤独と不安の日々は、

まるで出稼ぎで未知の国に来た青年のようでもあった。


この映画の隅から隅まで楽しめた私は、

夢多き少年の日々を重ねていた。

いい時代でもあった。


そういう時代の光と音と空気を、

市川崑は見事に捉えていた。

この作品の試みは、いまだに力を持っていると思うのである。


謹んでご冥福を祈りたい。