遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

東京タワー

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前の記事からの「塔」つながりで、

今回は、正式名称「日本電波塔」、

通称、東京タワーの思い出などを。



女房が金曜日に見ていた映画「交渉人 真下正義」に、

夜の東京タワーが映っていたのを目撃。


もっとも東京を象徴する建物は、

これを置いて他にないのではないのではないか。

夜、ライトアップされた東京タワーが目に入ると、

「あ、ここは東京なんだ」と、

私にとっては、脳が最も速く反応する物体なのである。


しかも、かつては俗っぽいと思っていたのに、

今はまったくそんな気がしない。

東京に足を運ぶことが少なくて、

めったにその塔を見上げることがない関西人だから、

そう思うのかもしれないが。



子どもの頃大好きだったNHKドラマ、

「ホームラン教室」の主題歌の歌い出しは、

♪ぼくらは町の子 元気な子

 空を仰げば テレビ塔

というものであった。

歌詞のテレビ塔とは、名古屋のテレビ塔だったのかもしれないが、

とにかく、田舎少年の私にはテレビ塔のある町が憧れであった。



東京タワーは昭和33年(1958年)に完成。

その後、フジテレビの「タワーバラエティ」という、

週日午後2時からの生の帯番組は、

この東京タワーのビル内のサテライトスタジオからの番組であった。


林家三平やコロンビア・トップ、ライトなどを、

日替わり司会者に要した、今の「笑っていいとも」の

何代か前に遡ったような、私の好きだったバラエティ&クイズ番組であった。

ちなみに、アシスタントを務めていたのが松任谷國子

松任谷正隆の従姉妹であった。



東京タワーは、ここからテレビ電波を発信する

テレビ塔であり続けているが、

いちど、繭をつくるためにモスラによって真っ二つにへし折られている。

モスラは当初、国会議事堂で繭を作るはずだったが、

映画人のテレビ文化打倒のメタファーとして、

破壊された東京タワーに変更させられたと聞く。



来年着工予定の「新東京タワー」は、

モスラに壊されたのをカウントすると、数えて3代目(笑)。

高さ実に610m、

展望台の高さは450mという。


墨田の街にしっくりフィットするのに何年かかるのだろう。