遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

残虐記/桐野夏生

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  残虐記   桐野 夏生    (新潮文庫)





10歳のときに25歳の男ケンジに誘拐され、

ケンジの自宅で1年間監禁されていた少女景子。


景子は、高校生作家として、

自らの誘拐体験を隠しつつ、センセーショナルな小説を著し、

若くして一躍著名な作家として認められることになる。


事件から25年、かつての高校生作家景子は、

35歳の小説を書けない普通の作家に成り下がっていた。

そんな頃、刑期を終え出所したケンジから、

出版社を通じて景子に手紙が届く。


この小説の本編は、そのケンジの手紙から始まる。

ケンジは自分が誘拐して監禁したかつての少女を、

手紙のなかで先生と呼ぶ。


「先生、ほんとにすいませんでした。でも、わたしのことはゆるしてくれなくてもいいで

す。私も先生をゆるさないと思います。どうぞ、お元気で。」

と手紙を結ぶ。


そして、小説の書けなかった景子は、

ケンジに誘拐され監禁されたのは私だと告白小説を残し、

 -その小説の書き出しにケンジの手紙が使われている-

失踪をはかるのである。



残虐記」は、250ページほどの短い小説であるが、

上に書いた部分は、十数ページを費やしただけのほんの序章部分である。


35歳の景子は、監禁されていた10歳の自分は「性的人間」になったと書く。

「他人の性的妄想を想像すること。それが性的人間であるということだ。」


桐野夏生は言う、

「想像力がなくて欲望だけある人は、ある意味で犯罪者だと思うのですが、

想像力を働かせるという方法こそ、想像力を持たず欲望だけがある人物と戦う手段に

なりえるんじゃないか、と思いました。

そして、欲望に取り囲まれ、肉体的にも精神的にも奪われるのは常に弱い者-

男性よりも、やはり女性や子どもであると思うのです。

その闘争が残虐なのです。」



現実にあった少女監禁事件を、

まったくのフィクションに仕立て上げた作者の想像力と、

その構成力に心底感心する。


景子と誘拐犯ケンジ、

監禁されていた部屋の隣人ヤタベさん、

景子の両親とケンジの雇い主夫婦、

そして、景子が解放された後事件の真相に血道をあげる検事宮坂。


すべて、桐野夏生の創作した人物であるが、

さらっと登場してきて、いつまでも存在感が残る人間たちであるところが、

いつものことながら、この作者のすごいところである。



「私も先生をゆるさないと思います。」

というケンジの手紙を読んで、

景子は10歳の自分を探しにどこへ行ってしまったのだろうか、

読み手は想像するほかないまま、小説は終っている。