遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

カーナビ/カロッツェリア

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ようやくマイカーが土曜日に納車された。

で、新車そのものはもちろん嬉しいのだが、カーナビがなんだか嬉しい。


カロッツェリア製のカーナビである。


CDが200枚も録音できるHDD方式で、オーディオも楽しめる。

地上デジタルTVも見られるし、

何がどのように連動しているのかまだ調べていないが、

ETCとも連動しているらしい。


それよりも何よりも、本来のナビの道案内の機能、

方向音痴の私を見知らぬ道路へ案内してくれるのが、

とっても助かるし、なんだか楽しい。



私は、いくらなんでも上下の区別は自信があるが、

左右の判断となると甚だあやしい。

教習所に通っていた20歳頃に、教官の示す方向と反対に曲がってしまったことを、

いまだに反省している。

反省はしているがいまだにその区別が心もとない人間である。


それ以前に、方向感覚がかなり鈍であるから、

毎日クルマで通う道や、よほど慣れ親しんだ道路以外では、

相当とんちんかんな方向感覚人間である。


どこそこの交差点を右に、などと言われても私はとっさには反応できない。

しかしこのナビは、「○キロ先を右です」「700メートル先を右です」

「300メートル先を右です」「(曲がる寸前に)右です」と、

何回も念を押してくれる、涙が出るほどありがたい、

「あなたに一生ついていく!!」とすがりつける信頼感。


昨日は、寝坊の次女を11キロ先の学校まで送り届ける。

いつもなら、小言を言われるはずの次女も、

二つ返事で学校まで送ってやると言う親父に、驚いていた。


さらに、同日の夜には次女の帰宅にあわせて、

こちらからターミナル駅まで迎えに行くという大サービス。

隣にナビ操作官の長女を乗せ、操作をさせる、会得が早い!



で、ターミナル駅からの帰り道。

長女「え、そこの交差点、母は右に曲がって帰るのに」

次女「そうそう」

私「でもナビが左といってるから、左でいいヤン」


私も実は、その交差点は右に曲がって自宅方面に向かうのであるが、

ナビが左に曲がれと言うので、それに従った、

未知の世界に入っていった。


ナビに従ったものの、実はとっても不安だったのだ。

ひょっとすると、高速道路に誘導したりして、

とてつもない遠回りになる帰宅なのではないか、

と手に汗握る未知への体験であった。


しかし、「へーここへ出て来るの!?」

といったところへ誘導してくれ、私のいつものルートよりずっと早く自宅に着いたのである。



操作がまだ不慣れであるが、これは優れものである、

高価だが私のような人間には、とても価値あるツールである。

もっと早く導入していれば、違う人生を生きられたかもしれない。


通勤時に、行き先を念のために設定してみることにする。

いつもと違うルートを示してくれるような気がする、

通いなれているはずの道なんだけれど。