遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

「ジャズフラッシュ」/NHK・FM

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NHKのFM放送が始まったのが、1969年3月、

そして、民放のFM大阪(東京)の開局が、1970年4月。

ナショナルのワールドボーイを買ってもらったのが、

NHKの本放送前の1968年だったと思う。


スリープタイマー(本体左のボックス)が付いた、

優れものであった。

画像は短波放送が入る3バンドのものであるが、

私のは、2バンドの12,000円くらいのモデルであった。

しかし、当時にしてはお高いものであり、よくぞ両親は買ってくれたと、今にして感謝。


その澄んだ音色に魅了されて、

静かな夜には努めてラジオを抱きしめんばかりにして、

FM放送をよく聴いていた。



木曜日の8時(?)からは、NHKの「ジャズフラッシュ」という番組を、

毎週毎週聴いていた、訳のわからぬ中学生であった。

クラシックも何曜日だったか、同じ時間帯の放送をよく聴いていた。


ジャズフラッシュは、DJが、本多俊夫・児山紀芳・青木啓(ひらく)などが

交代で務めた、お洒落な大人の世界に2時間浸れたいい番組であった。


番組冒頭には、FMステレオ放送の試験放送だったからか、

DJが「まずはじめに、右側のスピーカーからの音です」

などといって、左右別に音源を流して、ステレオ装置の調整を促していた。


いつかはFMチューナー付きのステレオを買ってもらうぞ、

でもそのときは、ワールドボーイで大満足!

てな、変な中学生であった。


その後、FM大阪が開局し、洋楽何でもござれののきらきらワールドを堪能、

ジャズ番組は火曜日の深夜「アスペクト・イン・ジャズ」。

この番組のDJ油井正一は、ジャズ入門時もその後も私の師匠的存在であった。





それから数年後、

イオニアの家具調の馬鹿高い4チャンネルステレオを買ってもらう。

今思うに、何であんなものを買ったのだろうかと、

しかし、両親に感謝感謝。



当時、レコード店でバイト中に取った電話の向こうから、

お客さんのジャズレコードの在庫確認、

「○○のLPありますか?」。

私はそんなの置いてないのを知っていながら、確認のために相手を待たせた。


京都中のレコード店にかたっぱしから電話を入れて在庫確認をしている風であった、

大きいところから順番に、といった感じで、

私のいた店は、順序でいえば真ん中くらいであったろうか。


上品な口調で聞き覚えのある声の持ち主であり、

にんまり、とその余韻を楽しみたかったのが、

少し保留した本当の理由。

相手はスウィング・ジャーナル編集長にして、ジャズフラッシュのDJ、

児山紀芳であった。

この方にも、S・J誌とジャズフラッシュを通じて、多大なお世話になった。


所望されたLPレコードが置いてあれば、彼に会うことができたのにと、

非常に残念な夜であった。



私は、FMラジオで別世界に連れて行かれた少年であった。

齢50を超えて、いまだに別世界に行ったままである。