遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

幻想交響曲/ベルリオーズ

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はじめての本格的クラシック・コンサートに出かけたのは、

30年ほど前に、職場の先輩に誘われた京都会館第一ホール。


指揮者もソリスト交響楽団も憶えていない。

プログラムは、(冒頭の小品は憶えていないが、)

メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲と、



私を誘った先輩は、大のお気に入りのメンデルスゾーンが終わると、

その後はほとんど居眠り状態。

私は、はじめての自腹クラシックだから、もとを取らねばとまじめに鑑賞。


幻想交響曲は、まったく始めての体験であった。

私には唐突だった、5楽章の「鐘」以外は特に強い印象はなく、

退屈寸前の状態のままコンサートは終了した。


それに懲りずに、私はまた時々コンサートに足を運ぶ人間になったのは、

退屈寸前だったけど、幻想交響曲のきらびやかさに感化され、

またあの雰囲気に身をおいてみたい、

レコードでは感じられない圧倒的な生の音に、魅了されたからだと思う。


今日の一枚は、1000円の廉価盤シリーズの中から、

1982年録音の、クラウディオ・アバド指揮、

シカゴ交響楽団の演奏するものである。

イタリア人の指揮で、アメリカの交響楽団で、

フランスのシンフォニーがおいしく調理されている。


初体験時には、未熟だった私は、その後このシンフォニーが大好きになった。


この曲の、管弦楽器の華やかなきらめくハーモニーは特筆すべきである。

ロマン派の先駆者だといわれるベルリーズは、生まれながらのロマンチストで、

当時の舞台女優に恋焦がれ心を痛めて、この曲を作ったようで、

狂おしいまでの彼の心の内をよく表している。



第1楽章の若さあふれるキラキラとした、ドラマチックなハーモニーが素晴らしい。

第2楽章の舞踏会の旋律は、私の最も愛するワルツ曲である。

こんなに美しい舞踏曲をほかに知らない。

第4楽章の管楽器の行進曲の迫力は、断頭台に導かれる行進曲なのに、

なぜか、元気付けられ生き生きとした感じが湧き出てくる。

行進曲オタクの私の気のせいかもしれないが。



物語性があり、交響曲入門にお奨めの、絢爛豪華、総花的シンフォニーである。




第1楽章 夢、情熱

原題:Rêveries,Passions。不安な心理状態にいる若い芸術家は、わけもなく、おぼろな憧れとか苦悩あるいは歓喜の興奮に襲われる。若い芸術家が恋人に逢う前の不安と憧れである。

第2楽章 舞踏会

原題:Un bal。賑やかな舞踏会のざわめきの中で、若い芸術家はふたたび恋人に巡り会う。だれとは知らぬ見知らぬ男とワルツを踊る恋人は、人波にのまれ遠ざかっていく。交響曲ではじめて「ワルツ」を用いた楽章でもある。

第3楽章 野の風景

原題:Scène aux champs。ある夏の夕べ、若い芸術家は野で交互に牧歌を吹いている2人の羊飼いの笛の音を聞いている。無限の静寂の中に身を沈めているうちに、再び不安がよぎる。「もしも、彼女に見捨てられたら……」1人の羊飼いがまた笛を吹く。もう1人は、もはや答えない。日没。遠雷。孤愁。静寂。

第4楽章 断頭台への行進

原題:Marche au supplice。若い芸術家は夢の中で恋人を殺して死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく。その行列に伴う行進曲は、ときに暗くて荒々しいかと思うと、今度は明るく陽気になったりする。

第5楽章 サバトの夜の夢

原題:Songe d'une nuit du Sabbat-Ronde du Sabbat(「ワルプルギスの夜の夢」と訳される事もある)。若い芸術家は魔女の饗宴に参加している幻覚に襲われる。魔女達は様々な恐ろしい化け物を集めて、若い芸術家の埋葬に立ち会っているのだ。グロテスクな悪魔の旋律に歪められ、地獄の饗宴は最高潮になる。弔鐘が鳴り響き、地獄の裁判が始まる。悪魔たちの奏する”怒りの日”が鳴り響く。判決が下り、芸術家は地獄で永遠に苦しむことになった。芸術家は魔女や悪魔たちに取り巻かれ、こづき回されながら、地獄の奥深くへと引きずり込まれていく。