しかし、野坂昭如の彼らをしのぶ心根は、
畏怖や嫉妬や軽蔑などがないわけではないが、
親愛を基調としている。
野坂が「伊東へ行くならはとや」や「おもちゃのチャチャチャ」の作詞や、
TVの構成作家をしたり、雑誌にコラムを書いて徐々に文筆で食っていこうとしていた頃から
三島が自決した頃までを描いた、完全実況ドキュメンタリー。
銀座をはじめ東京の其処此処にあったと思しい文壇関係者の溜まり場、
文壇バーに集うおびただしい作家や編集者たち。
まだ駆け出しだった野坂は酩酊していたと思うのだが、
誰と誰が同席で、何をしたか、自分がどうのように扱われたか、誰が誰のことをなんと言ったか、
実によく憶えていて、驚異の記憶力で、実名で登場した人たちはこれを読むと閉口するだろうと思う。
しかし、読み手にとってはすこぶる面白い。
文壇の文豪や売れっ子作家や駆け出し作家の行状が嬉しい楽しい。
たとえば、えっ、あの作家がブルー・フィルム(超エロティックなフィルム)観るの?
というような暴露場面がたくさん登場。
野坂は30歳代半ばで小説家デビュー(「エロ事師」)、
年下の作家達は売れっ子作家になっているし、
TVの世界でも3歳年下の永六輔が、キングであった。
しかし彼は小説が思うように書けなかった、書けなくて悶絶している自分をも、
この本で暴露している。これは、好感を覚える。
に至るまでの、食えたけど書けなかった作家時代の苦闘ぶりが、
私の大好きな独特の文体で彼自身の手によって再現される。
川端・三島・吉行・舟橋・司馬・安部・遠藤・北・大岡・安岡・有吉・柴田
開高・小田・鶴見・小中・大宅・梶山・石堂・早坂・色川・立原・石原・三好
大江・高橋・田辺・丸谷・五木・田中・佐野・戸川・佐木・阿部・井上・村松などなど
記憶力の不確かな私でさえ、この本に登場した作家達を空で言える。
そして作家以外にも文化人達の生の姿が見えてくる。
なかでも安達瞳子にあこがれた文士たちの気持ち、分かる。
子どもであった私も大好きな、魅力的なお嬢さんであった。
私は20歳過ぎた頃から、主に週刊誌で彼の文章に接してきた、
まず間違いなく、野坂昭如の名前に目が留まれば必ず読んだ、
メディアで何かを語っていたなら必ず耳を傾けた。
しかし彼の小説は読んでいない。
直木賞受賞(1968年)から40年近く時を隔てて、私は今から、