中学か高校生のころだったか。
悲しい運命を背負った主人公ヒース・クリフとの出会いは強烈であった。
話は逸れるが、元国連大使がイギリス留学の思い出話を
「NHK 世界我が心の旅」を通して観た。
題して「小和田 恒 英国 嵐が丘の風に誘われて」。
なぜか意外な思いがしたが、全体を通してしっとりとした少し悲い、深い良い番組であった。
その中で水村は「嵐が丘」のような本格的な小説を書くと宣言し、
本編に話が継がれる。
この本篇の語り部が、長野の山村で生まれた冨美子という女性。
彼女が本篇の水村版ヒース・クリフと言うべき太郎ちゃんと、
水村版キャサリン、よう子ちゃんの美しく悲しい関係を語る。
華麗なる一族に生まれたよう子と、極貧のなかで育った太郎。
その二人の幼少時代から世話をしてきた女中の冨美子。
冨美子は戦前の生まれ、太郎とよう子は戦後まもなく生まれた団塊世代。
この3人が生きた重くて深い人生と、麗しき悲しい時代「昭和」と、
華麗なる一族の気高き凛々しき三婆と、その一族の凋落などが、
冨美子の紡ぎだす素晴らしい日本語で語られる。
女中から身を起こし「キャリアウォマン」にまで登りつめた冨美子ともっとも重なり合う。
そして、絵に描いたような貧困家庭で息を潜めて耐えてきた太郎にも重なり合うし、
贅沢三昧好き勝手三昧のかつてのお嬢さまである三婆にも重なる。
作家が生み出した人物だから作家と重なり合うのは自然なことか、しかし、
自作が売れようが売れまいがお構い無しに、美しい日本語のものがたりを遺し、
この国は「軽薄を通り越して希薄ですね」と太郎に言わしめる水村。
そこには志の高さが伺える。
こういう小説は圧倒的に女性に指示されるのであろうか、
私は男であるが、最後の一滴までしっかり楽しんだ。
厳しい気候のヨークシャーはヒースの丘から、舞台を軽井沢・追分・成城に変えて、