太陽がいっぱい 60仏/伊 PLEIN SOLEIL
■監督・脚本 ルネ・クレマン
■原作 パトリシア・ハイスミス
■脚本 ポール・ジュゴフ
■撮影 アンリ・ドカエ
■音楽 ニーノ・ロータ
■出演 アラン・ドロン/マリー・ラフォレ/モーリス・ロネ
私のブログは、毒にも薬にもならないしょぼいものだが、パクリはない。(資料の引用はある、沢山ある。)
経験や印象や思考のパクリはない。だから、素人くさい自己満足なものでしかない。
しかも、テーマも何もない、分裂気味である、とほほ。
某国会議員が、ブログでの経験談を盗作したとか、しないとか。
そこまでして、何をしたいのか私にはわからない、不思議なチルドレンだ。
盗作といえば、あのゲイ術家(2005年度、芸術選奨文部科学大臣賞の受賞者)。
イタリアのアルベルト・スギの絵をどのように描いたのだろうかと推理した。
スギ氏のアトリエで写真を撮りまくっていたようだから、
その写真画像をキャンバスに投影したら、まんま模写できる。
二人の絵を重ねたら、ぴったり重なっていたのをTVが伝えていたのを目にしてそう思った。
彼はどこか、盗作、いや、倒錯している。ま、日本の恥といえる。
「太陽がいっぱい」でアラン・ドロンが演じた青年は、
「ある」もののスライド写真を白いスクリーンに投影して、模写に勤(いそ)しむ。
この映画で、アラン・ドロンに地球上の女が(たぶん一部の男も)痺れた。
蔑(さげす)まれた貧しい青年が、屈折した静かな心で美しい犯罪者になる。
かような犯罪者側の「言い訳」は一応用意されているから、
さらにアラン・ドロンに皆、惹かれる。
かつては、映画雑誌の年1回の映画スターの人気投票で、
オードリーと並んで常に上位にいた。
そのきっかけになったのがこの「太陽がいっぱい」。
「禁じられた遊び」と並ぶ、ルネ・クレマンの、
映画史上に燦然と輝く代表作である。
24歳の歩く芸術作品アラン・ドロンと、
揺蕩(たゆたう)うクルーザーと同調するニーノ・ロータの世紀の名曲と、
世にも有名なラストシーンをお楽しみいただきたい。
キネマ旬報「オールタイムベスト・ベスト100」外国映画編(1999年調査)
第11位
この映画の採点=☆☆☆☆★
(双葉十三郎のぼくの採点表より ☆=20点 ★=5点 但し☆☆☆☆★★以上はない)
私の採点=☆☆☆☆★