近頃は、動機のよくわからない犯罪が多くて、この事件も通り魔的犯罪であった。
この容疑者は、夫婦家族仲睦まじく暮らしていた40歳代の男であった。
最近職を失ったようで、その辺りの事情が何か事件の引き金となったのかもしれない。
「神の手」は、犯罪者がなぜそのように考え(いや、考えていないのかもしれない)、
そのように行動したのかが、ひとつのテーマになっている。
コーンウェルは、このシリーズをかつては、主人公スカーペッタの一人称で書いていた。
犯罪者の考えや感情を、犯罪者の立場から描けるようにしたからであろう。
それと、もとFBIの心理分析官である、ベントンの犯罪者研究などを、
客観的に描写するためであろう。
この作品で、ベントンは、MRIで収監中の犯罪者の脳を検査し、
彼らとじっくり話し合うことで、彼らの行動心理というか犯罪心理の藪の中に、分け入っていく。
犯罪者を許すという寛大な心を私は持っていないが、
犯罪者や犯行を憎むだけでは、不気味なわけのわからない現代社会の深い病巣には、
到達しないであろう。
わが国も国家予算を投入して、民間の力も借りて、
少しでも健全な安心して暮らせる社会へのアプローチを、
ぜひ試みてもらいたいものだ。
私たちの税金は私たちの安全や快適な暮らしに還元してもらいたいものだ、
バカな偽メールだかなんだかに、国中が振り回されている場合ではない。
常連のピート・マリーノやルーシーも、
三人称小説のおかげで、この作品でもあちこちでいろいろやってくれている。
この二人がいないと、いろいろやらかしてくれないと、面白くないのである。
ルーシーの超人的キャラをもっと前面に押し出して欲しい気がする。
エンターテイメント小説なんだから、何でもありでいいと思う。
今回の、ルーシーの小さな失敗の解消の仕方は、
もっともっとマリーノに大暴れさせたかった。
それまでじっと我慢していたのに消化不良気味であった。
さて、この作品の犯人の「過去」には、実に腹立たしいものを感じてしまう。
なぜ、犯罪者になってしまったのか、それは周辺の人間関係にあり、
その周辺の人間に、実にやるせない腹立ちを覚えてしまうのである。
三人称で行動してしまうこともあるのである。