遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

キドリントンから消えた娘/コリン・デクスター

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キドリントンから消えた娘    コリン・デクスター (著)

                大庭 忠男 (翻訳)   ハヤカワ・ミステリ文庫




私は、いわゆる営業部門に長らく居たことがない。

キャリアのほとんどが、ま、謂わば裏方部門である。

だから、人前があまり得意なほうではない。


ミステリの主人公は、探偵と刑事が多くを占める。

両者は、営業と裏方くらいの差がある。


探偵は華やかなイメージがあり、刑事は地道で実直なイメージか。

概してだが、そんなイメージであろう。

ま、探偵・刑事という分け方じゃなくて、

アメリカ系が営業型、イギリス系が裏方的主人公という分け方もできるが…。


コリン・デクスターといえばモース警部シリーズ。

『英国の警部→地道な捜査』という典型がここにある。


そのモース警部シリーズ代表作が「キドリントンから消えた娘」。


「消えた娘」は、現役の女子高生である。

「消えた」のだけど、単なる家出なのか、誘拐なのか、殺されたのかわからない。


この消えた女子高生は、お歳に似合わずなかなかなまめかしいので、

人間関係もいろいろあり、警部たちの捜査は一筋縄ではいかない。


モースは、女子高生は死んでいるという仮説から捜索をはじめる。

『死んでいる→殺されている→犯人がいる→犯人は誰なのか』という捜査の過程が、

しかも、行きつ戻りつの試行錯誤が実に面白いのである。

行きつ戻りつは、「女子高生は死んでいる」に「?」がつくまで戻ったりする。


フロスト警部ほどモースは、はじけてはいないが、
実直さでは同じである。

フロストが世に出たのは、モースよりずっと後だから、

モースをベースに、はちゃめちゃ感をつけ加えざるを得なかったのだろう


ウッドストック行最終バス」「ジェリコ街の女」

「オックスフォード運河の殺人」でのモースの苦悩もお奨めする。

「森を抜ける道」は未読だが、今度読んでみることにする。



私が次の職業を選ぶとしたら、刑事もいいかと思う。(お気楽な発想!)

その場合の理想は、モース警部である。

裏方の長い私には、マーローやスペンサーには向かない性格であると自分では思っている。


《ミステリマガジン》「読者が選ぶ海外ミステリ・ベスト100」 (1991) 10位 
 文芸春秋編『東西ミステリーベスト100」(文春文庫)海外編 (1986) 39位
全日本大学ミステリ連合 海外ミステリ=ザ・オール・タイム・ベスト200(1982) 47位


コリン・デクスター作品群
  
ウッドストック行最終バス  1975      
キドリントンから消えた娘  1976     
ニコラス・クインの静かな世界  1977  
死者たちの礼拝  1979    CWAシルヴァー・ダガージェリコ街の女  1981    CWAシルヴァー・ダガー賞   
謎まで三マイル  1983       
別館三号室の男  1986       
オックスフォード運河の殺人  1989  CWAゴールド・ダガー賞  
消えた装身具  1991     
森を抜ける道  1992   CWAゴールド・ダガー賞  
モース警部、最大の事件   1993  短編集  
カインの娘たち  1994    
死はわが隣人  1996   
悔恨の日  1999