遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

チャーリーブラウンと仲間たち/チャールズ・M・シュルツ

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A peanuts book featuring Snoopy (7) 角川書店
チャールズ M.シュルツ (著), 谷川 俊太郎(訳)


この前の土曜日は、五嶋みどりのコンサートのTV放送を観るのをすっかり忘れてしまい、

気がついてチャンネルを合わせてみれば、ちょうどアンコールを受けているところで、

みどりのバイオリンの音を、一音も聞くことが出来なかった。

自分のせいだけど、ついてない。


昨日は、帰宅のために車に乗り込んだら、

NHK-FMから聞こえてきたのは、N響のコンサートが終わったばかりのところで、

指揮者のアシュケナージ達がアンコールの拍手を受けているところであった。

第九の生放送だったようで、合唱がなんと二期会だったようだ。


N響の第九は、国立音楽大学の合唱団と相場が決まっているのに、

ウラディミール・アシュケナージといえば、ピアニストなのに、

どっちでもいいのだけど、とにかく一音も聴けなかった。


ま、TVでもやってくれるそうだから、見直せばいいのだが、

ついてない。


私は、ついてない男だと思う、一晩でリカバリーできるけれど。。

そして、チャーリー・ブラウンよりはましかなとも思う。


そろそろ、年賀状が仕上がる時期である。来年は「戌(いぬ)年」。

12年前は、いい歳をして、戌年の年賀状に、スヌーピーチャーリー・ブラウンを使った。

(今年は喪中で、年賀状は出せない。)


スヌーピーと、その飼い主のチャーリー・ブラウンが、

私のお気に入りである。


このキャラクターの生みの親が、チャールズ・M・シュルツである。

そして、チャーリーは、シュルツが自分の分身として仕立て上げたもののようだ。


父親が床屋である事が、もっとも大きな共通点であり、

好きでたまらない赤毛の女の子に、思いが伝わらないことも、同じであるようである。


「何をやってもダメな男の子」であるが、決して憎まれない。

むしろ、読者はチャーリーの健気さに共感を覚える。

彼は、時に哲学的な意見で、周りの仲間を励ます。



ペパーミント・パテイ:最近、思い煩うことばかりね。

チャーリー:どう云うこと? 

ペパーミント:安心て、どんなものだと思う、チャック? 

チャック:安心? 安心とは、車のうしろの席で眠っているような状態のことだよ。

   小さいときにママとパパと一緒にどこかに車で出かけて、夜になって、

   家に向かって走っているんだ。

   君はうしろの席で眠っている。 君は何も心配しなくていい。

   前の席にはママとパパがいて、心配事は全部引き受けてくれる。

   何から何まで面倒見てくれる。

ペパーミント:なるほどね、言えてるわね! 

チャーリー:でも、それはいつまでも続かない。

   あるとき突然、君は大人になって、もう二度と同じ気持は味わえないんだ! 

   突然おわってしまう。もう二度とうしろの席で眠ることは出来ない!二度とね。


ペパーミント:絶対に? 


チャーリー:絶対に絶対。


ペパーミント:チャック、わたしの手を握って。



チャーリー・ブラウンによれば、安心とは両親の車の後部座席で眠れる状態であるけれど、

でも、大人になった暁には、後部座席でぬくぬくとはしていられないと、ペパーミントに諭す。

ちょっと、子どもにはつらいけど、でも、この事実から逃げられないのである。


シュルツは、チャーリーや天才犬スヌーピーを介して、哲学書のようなアニメを、

50年間、アシスタントを置かずに一人で書き続けた。

偉い。


そんなことを知らずとも、ピーナッツシリーズは、楽しい。ほろ苦い。


谷川俊太郎の訳も、もちろん勿論、秀逸である。