遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

江川卓と小池百合子、それぞれの「涙の始球式」。

昨日、夏の高校野球開幕試合で始球式を務めたのが江川卓

彼は私の2学年下でしたが、私が高3の時からその名は全国の高校野球ファンには轟いていました。

私は新聞紙面の夏の栃木県予選の結果がとても気になっていましたが、江川がどんなフォームでどんな球を投げるピッチャーなのかを知ったのは、彼が甲子園にやって来るまで知らないままでした。

1973年(昭和48年)、江川が3年生になってようやく甲子園にその雄姿を見せたときは、あれほどきれいなフォームでとんでもなく速い球を投げる高校生投手は見たことがなかったので、テレビで彼と彼の投球に魅入っていました。

昨日の始球式、69歳の江川の投球はキャッチャーまでノーバンで届きませんでしたが、あれから51年後の甲子園での彼の投球を見ていて涙が出てきました。

江川は紆余曲折を経て巨人に入団し、わが阪神のライバルチームのエースとして君臨しましたので、その後の彼とはさほど良い思い出を築くことはなかったのですが、昨日の甲子園での始球式を見て私の大好物だった彼の高校生時代のことが思い出されて、私にとっては「涙の始球式」でありました。

 

さて一方で、小池百合子都知事神宮球場で始球式を務めたそうで、その投球の際にひじ左ひざを骨折したそうで、全治2カ月で登庁もままならないとのことです。

私はきっと痛々しいだろうその小池の投球場面を怖くて見ることが出来ませんが、小池より3歳も若いあの大投手江川卓でもキャッチャーまでノーバンで届かなかったんですから、5mくらいの距離から投げさせればよかったのに、ヤクルト球団なのでしょうか主催者は罪なことをしました。

江川が甲子園デビューした1973年に、その甲子園のある西宮生まれの小池百合子は、家族と夜逃げ同然の思いで西宮を離れエジプトに居を移しました。
そして、(たぶん)エジプト大学を卒業することなく、76年頃に着物姿でピラミッドに上って、そのてっぺんでお茶を点てたという貧弱なキャリアだけで小池百合子は今に至っています。

あれから半世紀を経て東京都知事としての始球式は、ピラミッド登頂より難しいイベントだったようで、今回の骨折は、ある意味、痛くてたまらない「涙の始球式」なのかもしれません。

まさかとは思いますが、神宮の木を伐ることを知った明治神宮の神さま(明治天皇昭憲皇太后の御祭神)がお怒りになった「神宮外苑のたたり」が何か悪さをしたのでしょうか。

ということで、小池都知事におかれましては2か月の静養期間中に「外苑のたたり」のようなものを鎮めるために何をすべきかをじっくり考えていただきたいと思います。

合掌

 

toship-asobi.hatenablog.com