遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

渋谷幡ケ谷のバス停と板橋下頭橋のホームレス

上の画像は、2年前にベンチで朝を待っていた女性が暴漢に襲われ亡くなった現場です。事件からちょうど2年、その渋谷の幡ケ谷のバス停に命日の花や飲み物が供えられています。

供花をした暖かい人たちと不憫な最期だった女性の暮らしを思い、胸が熱くなってきます。合掌

この写真を投稿したのは大学1年生で、友人と花を供えたのだそうです。立派な人だと思います。

安達晴野/Seiya Adachi @haruchan1917
渋谷・幡ヶ谷のバス停でホームレスの女性が殺された事件から今日で2年。友人と花を供えた。
アパートを追い出され、コロナでパートの職も失ったが、生活保護は受けず直前まで税金を払い続け、兄弟にも相談しなかったそう。そして「邪魔だった」と殺された。当時の所持金は8円。歪んだ世の中。

事件があった渋谷の幡ケ谷から、時計の短針1時の方角に車で30分ほど。中板橋駅近くに下頭橋(げとうばし)という橋があります。石神井川に架かる橋です。

「下頭橋」という名が少し変わっています。

私も知らなかった橋なのですが、今朝トイレに起きてYoutubeの朗読を聴きながらもう一寝しようと、選んだ朗読短篇小説が「下頭橋由来」でした。

朗読動画の長さが25分くらいだったので長くも短くもないということで、まったくの偶然で選んだのでした。

こんな冒頭で小説は始まりました。(「青空文庫」より)

下頭橋由来   吉川英治

飯櫃(いいびつ) 

 十八になるお次(つぎ)が、ひとつの嫁入りの資格にと、巣鴨村まで千蔭流の稽古に通い始めてから、もう二年にもなる。
 その間ずうっと、彼女は家を出るたび帯の間へ、穴のあいた寛永通宝を一枚ずつ、入れて行くのを忘れた日はなかった。
「あんな、張合いのある乞食ってないもの――」
 と、自分の心へ言い訳する程、彼女はそれを怠らなかった。
 河原から憐っぽい眼を上げ、街道の旅人へ、毎日、必死に頭を下げているお菰(こも)の岩公(いわこう)が、自分の姿を仮橋の上に見ると待っていたように百遍もお辞儀をする。
「――あんな一生懸命なお辞儀って、誰だってしやしないもの」
 と、それを受けるのも、楽しみだった。
 きょうも、石神井川しゃくじいがわにかかって、
(岩公、いる?)
 と、お次は、下を覗のぞいた。
 一ぺんも言葉こそ交わしたことはないが、きょうは岩公が何か欣(よろこ)んでいるか、考えているか、体の具合がいいか悪いか、お次にはよく分った。
(あ。お嬢様)
 岩公も、大家の娘へ、声をかけては悪いと思うのか、眼で、眸で、お辞儀だけで、もうその姿へ呼びかけた。

「下頭橋由来」は1933年昭和8年の「オール読物 五月号」に吉川英治が寄せた短編小説で、「飯櫃」「漬物倉」「大根月夜」の3章からなります。

十八歳のお次は、橋を渡って巣鴨まで書道の稽古に通う漬物問屋の大店の娘。そのお次と、橋のたもとにいる「お菰(こも)の岩公(いわこう)」との心の交流を描いた小説です。

「お菰」とは、風雨をしのぐ菰を被って暮らす乞食の別称のことです。

江戸時代のホームレスがお菰なのですが、訳あって物乞いをして暮らしている岩公なのでしょうが、そのことも小説の後半に判ってきます。

吉川英治は「宮本武蔵」「三国志」「新書太閤記」「新平家物語」など、文庫本で10巻前後の長編小説がつとに有名で、私も「宮本武蔵」「三国志」は夢中になって読みましたが、「下頭橋由来」のような清らかな小品も書いていることも今日知りました。

名もなき仮橋が「下頭橋」という名になった由来は、お菰が頭を下げて物乞いする姿からとられたのですが、おそらくその言い伝えを知って吉川英治が作品化したものと思われます。

朗読が面白くて二度寝が出来なくて、最後の一行で朝から胸が熱くなってしまい、朝寝をやめて起床した私でした。

2年前の令和の時代にホームレスになって40代の男に殺された女性を思うに、この国のいまの劣化状況になんとも言えない虚脱感や寂寥感に襲われます。

しかし、江戸時代のホームレス岩公に対する板橋の町娘お次の気持ちに触れると、いまの大学生が渋谷の幡ケ谷の事件現場に供花する気持ちが通底しているではないかと、少し嬉しくなって胸が熱くなるのでした。


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