じゃーん!新一万円券https://t.co/a7emAPkOOt pic.twitter.com/9ZangzrnZB
— 日本銀行 (@Bank_of_Japan_j) 2021年9月1日
日銀の公式ツイッターで「じゃーん!新一万円券」と登場したのが渋沢栄一の新一万円札。
日銀がツイッターで何を言いたいのか分からなかった。今日から流通が始まったということなのかと思ったら、印刷が始まったというどうでもいいニュースだった。
日銀はそのことをはっきり示せ、何が「じゃーん」だ、このコロナ禍で不謹慎だ。
でこの一万円札、日本の劣化を表象するような威厳のなさというか暗いしダサいデザインだ。ネットでは、数字10000のフォントが「大きすぎ、ちゃらい、軽い」「おもちゃか?」と不評だ。
渋沢の肖像画も、もうちょっと何とかならないのかと脱力してしまう。
聖徳太子や日本武尊のような伝説上の人物なら、想像上の肖像画を採用すれば事足りた。しかし、写真で肖像が残る人物をお札にするようになってから「顔がいけませんね」と思うお札が登場してしまう。
福沢諭吉、夏目漱石、新渡戸稲造、樋口一葉、岩倉具視などはいいお顔をなさっていると思うが、別に本人の顔写真を忠実に再現することもないだろうに。
いつか、手塚治虫と鉄腕アトム、やなせたかしとアンパンマン、長谷川町子とサザエさん、宮崎駿(まだ存命だけど)とトトロみたいな作家の肖像+キャラクターのお札が登場したら、楽しいだろうなと思う。
ということで、「一万円札は、福沢諭吉のストックが8000枚ほどあるので余生はそれを使い切るつもり。渋沢の万札は不要だ」と言ってみたいが、私にとっておそらく最後の1000円札となる北里柴三郎だけ財布に持ち歩いて、ゆったりと余生を過ごすつもりなのである。