遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

医療崩壊の大阪では「命の選別」が始まった

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大阪は、4月29日にコロナ感染者数が1,172人人に上り死者数が44人となった。

この大阪の死亡者数44人は、都道府県単位で過去最高の数値となっていて、昨日の全国の死者数78人の56%を占める。

累計の死者数は、全国で10,204人、東京1889人、大阪1,448人となっている。 

今朝目覚めて布団の中で、コロナ感染した大阪の30歳になったばかりの男性の連続ツイッターを読んで胸が苦しくなった。

ざっと記すと次のような内容だ。
発症から4日目で指定された病院を予約して検査を受け、5日目に陽性と判明するが引き続き自宅で待機。
6日目あたりでパルスオキシメーターの値が90を切るところまで下がるが、依然保健所からの入院連絡待ち。
8日目でようやくワゴン車で連れていかれたホテルで療養に入り、そのまま苦しみながら待機。
10日目に熱が下がり、12日目にHER-SYSで熱が下がったことを知った保健所から連絡が入り、ホテルを退いてくれとの要請があったが、まだ咳が続き倦怠感が取れず胸も痛いので引き続き入所する意思を伝える。
14日目には回復してきたこともあり保健所からの連絡でホテルを退所。公共交通機関で帰宅。
感染経路は思い当たる節はないようで、変異株に感染したのかどうかも不明だという。

以下に30歳の男性の体験ツイートをコピペ(抜粋)したが、結局この方は30歳で健康な方なのでほぼ治療を受けないまま自宅とホテルで回復できたのだが、いま67歳の私ならこの方の「6日目」あたりの症状で死亡していると思う。

大阪ではICUはもはやパンク状態で、高額納税者や維新の支持者ということで選別されるわけではないが、90歳以上はICUには入れないなどの「命の選別」が始まったという。

また、大阪の保健師さんのツイッターからは「入院させなければ」と思いながら「入院しなくて大丈夫」と言わなければならない毎日が辛すぎます。と悲痛な叫びが聞こえてくる。

コロナによる医療崩壊ではじまった命の選別は、いずれ首都圏にも伝播するだろうという恐ろしいことになっている。くれぐれもご自愛いただきたい。

 

【大阪の30歳男性のコロナ感染体験ツイート】
(発症時)少し空咳が出るくらい。倦怠感もあったかもしれないけど、ちょうどその時期立て込んでたので無視してると翌日の風呂上りから咳が少し増えた。

発症3日目、朝は咳がほとんど無かったのでそのまま出勤すると夕方から咳が止まらなくなる。熱を測ると37℃少し。まだ過労で少しガタが来てるとの認識で栄養を取ってすぐに就寝。朝起きてると全身物凄い倦怠感で熱を測ると38.5℃ですぐにコールセンターに電話。

発症4日目、コールセンターでは近くの発熱外来の紹介のみで、予約は勝手に取るシステムらしかった。一番近くの発熱外来に電話すると午後4時しか空きがなく、そこを抑えてから職場等各所に報告を始める。発話がしんどくて電話が困難な状況。
発熱外来を受診すると即PCR検査。唾液を綿棒に浸すパターンで1分間ぐらい綿棒を咥えてお医者さんに渡したら明日には結果が分かるとのこと。処方された薬は咳止め2種類のみ。帰りにコンビニで大量のポカリとゼリーを購入。この頃は何も喉を通らない状態に。

発症5日目。猛烈な倦怠感と高熱で3時間おきに目が覚めるような状態。正午前に発熱外来から連絡があり、検査結果が陽性とのこと。保健所からは後から連絡がくるらしい。夜間になって保健所から連絡があり、いわゆる自宅療養に。この時点で熱は38℃後半、症状は猛烈な咳、下痢、下血。

発症6日目、パルスオキシメーターが届く。初計測は94で保健所からの連絡時に伝えると93以下になったらまた連絡が欲しいとのこと。保健所からは「発症7日目の確認です」とか「森村さんは確か今ホテルですよね」と事実誤認を繰り返されストレスが溜まる。今から考えればこの時が一番しんどかった。
発症6日目の夜間、パルスオキシメーターが鳴り始めたので見ると90を切ってる。この頃3回ほど90を下回り、最頻値も92と低かったので保健所に電話。するとまた「今ホテルですよね?」「90を常に切ったら連絡してください」と言われる。数値的だけ見れば中等症Ⅱに突入。

発症7日目、熱が少し下がり、37℃台を回復。酸素飽和度も94まで回復して少し安心。茨木保健所から紹介された支援パックと食料パックを電話で申し込み。電話しか使えないのは発話がまだ困難な状況下では少し辛かった。これは翌日の朝に届くことに。

発症8日目午前、茨木市からの支援パックと食料パックが届く。と同時に保健所から連絡があり、夜からホテル療養が決定。このパックはどうすれば…。体温は37.6℃、咳は止まらず、胸の痛みと倦怠感が続く中、ハイエースに乗せられてホテルへ。同乗者は2人で自分以外は無症状に見えた。
ホテルに入ると看護師さんの問診があり、固形物が食べられない旨訴えるとゼリーとOS-1を渡される。この時夕食のタイプを肉揚げ物ベースか魚煮物ベースかで選ぶことに。

発症9日目から11日目までは動きなし。相変わらず咳は出るし、胸も痛いし、倦怠感もある。ただ10日目からは熱がついに平熱になり、固形物も1週間ぶりに食べれられるように。12日目に保健所から電話。実は発症6日目からHER-SYSに自分で症状を入力してたのだが、その情報を見たという。
「森村さん、10日目には熱も下がってきてますし、酸素飽和度も95を超えているので、ここを症状軽快日として72時間後の明日退所ということでよろしいでしょうか?」との耳を疑うようなお言葉。まだまだ咳も全く止まってないし、倦怠感も胸の痛みも続いていて、そのことも全て入力してるのに…。
退所のおすすめを断るとまた3日後連絡するとのこと。不思議なものでその翌日から本当に症状が軽快してきて発症13日目の夕方にして倦怠感も咳も胸の痛みもなくなった。この頃からお湯を張ってお風呂に浸かれるようになる。ちなみに発症8日目を境に保健所からの連絡は非通知に。パンクしたか。

発症14日目、保健所かれ連絡があり、翌日の午後にホテルを退所することに。その際PCR検査等は無しで、ホテルを出た翌日から無制限に行動出来るとのこと。発症15日目、午前中に退所準備をしてから内線で退所時間について連絡があり退所。行きはハイエースだったが帰りはそのまま公共交通機関で帰宅。

発熱外来を受診してから受けた手当は、その時に咳止めを処方してもらったぐらい。ちなみに治療費の公費負担は陽性と判明してからなので、その咳止めについては自費。まあ1000円ぐらいだったからいいんだけどさ…。
ちなみに自分が変異株かどうかは保健所に聞いても検査してるかどうかも分からないとの回答。株が違ったらまた罹るかもしれへんし、二重変異もあるからまだまだ気が抜けぬ…。
なお、自分は経路不明で「あそこで感染したかも」も無しで当然会食も無し。濃厚接触者は全て陰性で、本当に「あなたの風邪はどこから…?」状態。濃厚接触じゃなくても余裕で感染するってことやなあ。