背高泡立草 古川 真人 (著) 集英社
2日後の7月15日に第163回の芥川賞と直木賞の発表があるが、前回の芥川賞、古川真人の「背高泡立草」を読んだ。
九州の男と関西の女は小説を書く比率が高いと、なんとなくだがそう思う。古川真人も福岡県で生まれ育った作家。
本作は、長崎の平戸からフェリーで渡れる島が舞台となっている。
毎年、夏の島の実家に草刈に出かける二家族を中心に、島にまつわる現在と過去の脈絡のありそうでなさそうなエピソードが、真夏の夜の夢のように登場しては消えていく。
2つの家族の中心人物は、とにかくよく喋る島出身の壮年の姉妹。島に残る姉妹の実家の庭の草刈りには、壮年姉妹のそれぞれの20代の娘たちも駆り出される。
いとこ同士に当たる娘たちは、空き家の草刈りをする理由が理解できないまま、不承不承ながら年中行事のサポートのためにどちらかの母の運転する賑やかな車内の後部座席を埋めるのだった。
井戸端会議のライブ放送のようなシーンも多々ある4人の女の草刈りが現在の物語で、島をめぐる過去のエピソードが 戦争が終わって博多港から朝鮮半島に逃げ帰る人たちや、鯨漁の盛んな頃の島の漁師たちや、カヌーでたどり着いた少年のエピソードが、真夏の夜の夢のように登場しては消えていく。
さまざまな雑草たちが家族の手で刈り取られ、その中には古代から島に生息するものもあれば、今や至るところで群生しているセイタカアワダチソウのような帰化植物も含まれる。背高泡立草は、海難で島に流れ着いてそのまま帰化した人たちも住んでいることのメタファーなのかもしれない。
やがてやってくるコロナ禍を予期していたかのような、九州の男の小説(ゆったりとした島物語)は、夏の草刈りの後にもかかわらず涼やかで心地よかった。